yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

幸四郎検校が際立つ『不知火検校(しらぬいけんぎょう)』in 「四月大歌舞伎」@歌舞伎座 4月9日昼の部

宇野信夫作・演出、今井豊茂脚本。あの「法界坊」を連想させるので、古い歌舞伎と思っていたら、なんと宇野信夫作の新歌舞伎。そういえば「悪」の描き方がいかにも新しい。肉感的。歌舞伎の悪は、三島由紀夫ではないけれど、どこかに「華」がある。また「色(色気)」もある。こちらはもっと生々しい。かといって心理劇というのでもない。生々しさが、すぐ手に取れるような生々しさ。だからこそ、商業演劇に長く出てきた幸四郎が、ここまで説得力を持って演じ切ることができたのでは。

1960年(昭35年)2月に十七世勘三郎の検校で歌舞伎座にて初演。その後、1972年に再び勘三郎の検校で新橋演舞場にて再演。後はずっと上演が途絶えていたという。昨年9月、幸四郎の検校で久しぶりに板に乗った。今回のは幸四郎主演の2回目ということになる。ずっと上演が途絶えていたわけも、この幸四郎の検校を見るとよくわかる。古典歌舞伎でもなく、新派劇でもないこの狂言。「純」歌舞伎役者、新派役者には「検校」役は難しいだろう。そこが決まらないと、全体の構成が崩れてしまう。幸四郎はこれ以上ないほどのハマり役。伊右衛門、二木弾正などを演じている時よりも、数等楽しげだった!

以下、「歌舞伎美人」より。

浜町河岸より横山町の往来まで


<配役>
按摩富の市
後に二代目検校 幸四郎
生首の次郎
後に手引の幸吉 染五郎
岩瀬藤十郎   友右衛門
奥方浪江    魁春
指物師房五郎  錦之助
湯島おはん   孝太郎
母おもと    秀太郎
手引の角蔵   松江
丹治弟玉太郎  松也
若旦那豊次郎  廣太郎
娘おしづ    児太郎
富之助     玉太郎
魚売富五郎   錦吾
初代検校    桂三
因果者師勘次  由次郎
夜鷹宿おつま  高麗蔵
検校女房おらん 秀調
鳥羽屋丹治   彌十郎
寺社奉行石坂喜内左團次


<みどころ>
留まることを知らない欲望、型破りに生きる悪の華
 生まれた時から眼がみえず、幼い時から按摩の修業をしている富之助は、盲人の中でも最上位の階級にいる不知火検校の元に弟子入りし、忠実な弟子を装いながら、隠れて数々の悪事を働きます。やがて成人し富の市という名の按摩となりますが、悪行の勢いは留まることを知らず、仲間となった生首の次郎や鳥羽屋丹治、玉太郎兄弟の手を借りながら、ついには師匠を手にかけ二代目不知火検校の座につきます。権力と大金を手に入れ、すべてが思いのままになった富の市は、今度は意中の女を巡って殺人を企みますが…。
 悪の魅力が最大限に発揮される舞台にご期待ください。

幸四郎は年齢を感じさせない演技。それに何よりも(?)男前。でもその「男前」を消してこの汚い検校(元の名は富の市)に徹している。汚いというのは外見上のことだけでなく、根性が表に出ているということ。そこが、この検校の肉感的である所以でもある。生々しい。

旗本の奥方の浪江を犯すところなど特にそう。また、妻のおはんとその間男相手の房五郎を殺す場面のリアルさ。検校がおはんとの関係を知っていると仄めかした時、一瞬ギョッとした表情をする房五郎。でも「まさか」といった態になる、この場面の錦之助の演技が良かった。この後、検校はおはんも手にかけ、二人を指物師の房五郎が作った長持ちの中に放り込む。そして、おはんが可愛がっていた猫をも殺して放り込む。まるで駄目押しするかのように。ここ、本当にゾッとした。

殺しがまるでゲームのようになっている。痛快なほどに。見ている側も次第にそれに慣らされて行く。でもそれが、あまりにもあっけなく中断される。このあっけなさもゲーム的。元々の脚本がそうなっているのか、それとも現代に合わせて改変されたものなのかは分からないけど。実にシュール。生々しさとシュールとの絶妙のバランスの上にこの舞台が成立していた。だからこそ幸四郎なんだと納得してしまった。

この化け物的父親に付き合わされる染五郎の方は、必然的にlow profileになる。勘三郎と勘九郎が同時に舞台に出ていた『髪結新三』の折にも似たような感慨を持ったけど、今回も同様。割を喰わされていた。