yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

渡邊守章著『越境する伝統』ダイヤモンド社2009年12月刊

絶版だったので、古書店から入手。今の関心事と関係しているのがタイトルから察せられたので、どうしても欲しかった。

渡邊守章さん(なんて気安く呼んで良いのか知らん?)と能との関わりが案外「遅かった」という記述が「能とその『外部』——観世寿夫の軌跡」にあり、意外だった。観世寿夫と渡邊さんのの交流は夙に有名で、観世寿夫が1978年に亡くなったあと、多くの「追悼文」を書かれ、まとめたものを上梓もされている。それから30年経って、あらためて能を通しての古典と伝統を考えるという主旨がこの第一章になっている。

「外部」というタームに心惹かれた。「芸能を論ずる際には、一般論としても、このコンセプトは重要である」と彼は言い、それを寿夫に当てはめる。西町観世の総領として生まれた寿夫が傾倒したのは観世ではなく宝生流といった「外部」だったことに注目する。「家の芸風の外部に位置するものを取り入れることで、自分の芸を活性化するという、言わば弁証法的な戦略は、歌舞伎の世界などを見ていれば、容易に気のつくことだ」という記述に膝を叩いてしまった。芸能の活性化は常にこういう弁証法の上に生じるものであるのは、今の芸能をみれば一目瞭然。

武士階級に組み込まれることで能が喪失してしまった「先鋭性」をどう取り戻すのか。それは近代になってからの能楽の課題でもあった。驚いたのは「能楽師たちは、武士階級と同じ社会的ステータスを与えられた代わりに、武士階級以外の『観客』を持つことが赦されなかった」云々のくだり。そんな能に対して「外部」として立ちはだかったのが歌舞伎。この分文脈で考えると、、歌舞伎にとって明治以降の「演劇改良運動」にどう立ち向かうのかがいかに火急の課題だったのは、容易に想像がつく。

そこに渡邊氏は野上豊一郎の桜間弓川のシテで撮られた記録映画、『葵上』(1935)を挿入する。この映画、冒頭に英語の導入部が置かれ、舞台映像にも英語のスーパーが重ねられるという、当時としては画期的なもの。ここに東大英文科出の野上博士の「外へむけられた『視座』」を渡邊氏はみている。その野上理論の中で渡邊氏にとって「決定的」だったのが、「能を貫く『遊狂精神』の論」だった。そのころ、ニーチェの『悲劇の誕生』中に見出した「ディオニュソス憑衣」に、十代後半の彼は強く心惹かれていたのだという。野上理論がまさにこの「遊狂精神」をモデルにしていると、彼は理解した。ここ、とても興味深かった。

彼は、観世寿夫の「フランス留学」体験を「外部」との出逢いとして捉え、その後の活動とその意義をその路線上に見出そうとする。現在の能に果たして「外部」への意識はあるのだろうか。その志向はあるのか。私の少ない能体験からは判断できない。でも歌舞伎ではそれに類した試みは確かに見られる。小劇場をふくむいわゆる「新劇」ではどうだろうか。

渡邊守章さん、吹田メイシアターでの三島の『サド侯爵夫人』上演で、お見かけしている。というかすぐ傍に座られたので、よく覚えている。もちろん監督をされたのだけど、舞台をじっとご覧になっている姿を思いだす。舞台監督にありがちな威張ったところのまったくない、ステキな方だった。