「歌舞伎美人」から配役とみどころを。
配役
遊君阿古屋 玉三郎
岩永左衛門 亀三郎
榛沢六郎 功一
秩父庄司重忠 菊之助
みどころ
◆遊君が見事に弾きこなす三曲の調べ
平家滅亡後、源頼朝の命により残党狩りが行われる中、平家の武将悪七兵衛景清の行方を詮議するために、愛人の遊君阿古屋が問注所に引き出されます。景清の所在など知らないという阿古屋に対し、代官の岩永左衛門は拷問にかけようとしますが、詮議の指揮を執る秩父庄司重忠は、阿古屋に琴、三味線、胡弓を順に弾かせることで、彼女の心のうちを推し量ろうとします。言葉に嘘があるならば、わずかな調べの乱れでもそれとわかるという重忠ですが、阿古屋は見事に三曲を演奏します。
阿古屋は、舞台で実際に三曲を演奏し唄いながら、心情を細やかに表現しなければならない女方の大役です。音曲と共に華やかな舞台をご堪能ください。
これはたしかいわくつきの演目。六世歌右衛門が「自分にしかできない」と自負していたから。琴、三味線、それに胡弓まで弾きこなさなくてはならず、それができる役者が自分を除いていないと確信していたからだろう。歌右衛門が演奏した舞台を見ていないのだけど、でも今日の玉三郎、それに匹敵する演奏を魅せてくれた。観客が固唾をのんで見守る中、彼はいとも自然体でこの演奏をやってのけた。「さすが!」を連発しながら観ていた。
話自体は源平ものにカテゴライズされるのだろう。あの「出世景清」で有名な景清、彼の愛した遊君阿古屋の、源氏の武士たちを向こうに回しての奮闘を描く。いかにも「判官贔屓」の日本人が好みそうな芝居。
玉三郎を観ながら、三島由紀夫の『椿説弓張月』での彼の琴演奏を思い出していた。あのサディズムの横溢する舞台を。玉三郎は「穏やかな」舞台よりも、どちらかというとこういったサド・マゾが隠し玉になった舞台が似合う。あんなにきれいで、凛としているけど、だからこそ陰の部分が輝いてみえる、そんな人、そんな役が似合う人。先月同じ歌舞伎座でみた『先代萩』の彼の政岡を思い出してしまった。あの役どころもまさにそう。今日も今日とてどこから見てもお美しい。20代の阿古屋に見えた。でもなにかぞっとするものが透けてみえた。