ネットのニュース記事は以下。
韓国の著名な女性作家に、三島由紀夫の作品「憂国」からの盗作疑惑が持ち上がり、この作家は23日付の韓国紙の紙面で盗作を事実上認めた。作家は謝罪した上で執筆活動の自粛を発表、韓国きっての人気作家の不祥事だけに、韓国内で波紋が広がっている。
盗作を認めたのは作家の申(シン)京淑(ギョンスク)氏。申氏が1994年に発表した短編小説「伝説」の一部が、三島由紀夫の「憂国」に極めて似ていることを今月16日に、別の韓国人作家が指摘。「憂国」で主人公の青年将校夫妻が情交する場面を描いた部分のうち、5つの文章を申氏が盗作した疑惑が持ち上がった。
この騒動について申氏は当初、盗作を否定していたが、韓国紙、京郷新聞(23日付)とのインタビューで「憂国と何回か照らし合わてみた結果、盗作であるという気がした」などと事実上、盗作を認めた。
「すべでは私の責任」と読者に謝罪した申氏は「執筆はできない。当分の間、自粛する」と述べ、文学賞の審査委員も辞退する考えを示した。
(中略)
「伝説」は韓国国内で文学賞を受けた作品。申氏は出版社と相談し、作品集の中から削除するという。
1985年に文壇デビューした申氏は、韓国国内ではトップ級の人気作家。2008年に発表した長編「母をお願い」は22カ国で出版され、200万部以上の売り上げを記録した。
きらびやかな文章、めくるめく激情の嵐を引き起こす描写の数々を擁する『憂国。全体としては完成度がとても高い短編ではある。三島の官能的ともいえる雅文体。でもこの部分に関しては、それにあてはまるのかどうか。過激な描写(?)が当時から話題を呼んだという例の青年将校とその妻との愛の交歓の箇所、たしかに申氏の小説の当該部分はそれを盗作といわれても仕方ないほど似ている。しかも『憂国』の韓国版はすでに絶版とか。
以前に読んだ本の文章が、自分の書いた文章にそのままとはいわないまでも、かなり近い形で反映していることは良くあること。論文ならソースを辿って行って「註」として明示する。この韓国を代表するという韓国人作家のものを読んだことがないので、確認しようがないのだけど。かりにいわゆる「ぱくり」があっても、それが新しい息吹きを吹きこまれ、もとのものを越えた作品を生み出す一助になるのなら、意味があると思う。こういうコラージュの手法をあえて取る作家もいるだろうから。それは絵画にも音楽にもいえる。写しを使うことにより、そこに異質なもの間の交流、あるいは摩擦を生じるさせることで、そこに新しいなにかが生まれでることを狙ってるのだろう。ある意味芸術的挑戦。アナロジーの手法。あるいは本家取りの手法で、これは借りられたソースが何かわかること、透けてみえることで、表現なり構成の妙が増幅され豊かになることを狙ったもの。
しかしこの作家がそういう意図で三島原作の当該箇所を使ったのかどうかは疑問。文章をコピーというのではかなり問題。芸術的挑戦とはいえず、ただの盗みになってしまう。でも小説全体としてはその部分だけというので、そんなに悪質とは思えない。
原本のほぼ全体をコピーしたというはっきりしているもの、たとえば小保方論文のような盗用のはっきり判る稚拙な論文は論外である。確信犯だから。でも過去に自分が読んだものの影響を受けない作家も芸術家もいないだろう。そのあたりのこと、どこで線引きをするのが難しい。優れた作家、芸術家はこの点に注意を払っているに違いない。
この事件で、『憂国』に久々に「出くわした」。かなり心が騒ぐ。三島美学の結晶というようなこの作品ではあるけど、エロティシズムの極北を殉死という形で完結させることに、彼の時代への絶望をみてしまうから。