yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『疑惑』@京都南座10月7日午前11時開演の部

ネットに「南座ミステリー劇場『疑惑』制作発表」の記事がアップされていた。そこからの引用が以下。

『疑惑』は保険金殺人と目される事件の謎解きと、その容疑者と弁護士の女同士の葛藤、そして女たちのバトルに翻弄される男たちの姿を描いた松本清張のミステリー作品。1982年に発表され、その秋に映画化、桃井かおりさんと岩下志麻さんの熱演が話題を呼び、数多くの映画賞を受賞しました。この小説が初めて舞台化されます。

毒婦と呼ばれ、保険金殺人の容疑者として逮捕される球磨子を演じる浅野さんは「演出の河毛(俊作)さんは私を育ててくださった監督で、今回どんなふうに演出してくださるのか楽しみです。(高橋)惠子さんの胸を借りてぶつかっていきたいです」と挨拶。悪女をどのように演じたいか聞かれて「お客様に『死ねばいいのに』と思っていただけるくらいの毒婦をやらせていただきたい」と笑顔でコメントしました。

以下、松竹サイトに乗った紹介記事。

■見どころ
松本清張の傑作小説『疑惑』初めての舞台化

女たちのバトルの火蓋が今、切って落とされる!

美しくも屈折した容疑者と弁護士を、
浅野ゆう子と高橋惠子の二大女優が文字通り体当たりで演じます。
また、脇を固める個性派の男優陣が、女たちのバトルに翻弄される男たちを好演します。

この秋、最高の話題作をどうかお見逃しなく!!




■あらすじ■
昭和56年夏。
夜の北陸の埠頭で、降りしきる雨の中を1台の乗用車が猛スピードで海に突っ込んだ。
乗っていた女は自力で脱出し一命を取りとめたが、同乗の男は車内で溺死する。

女の名は白河球磨子──前科4犯の曰くつきの過去の持ち主だった。

死亡した夫の酒造会社社長・福太郎に多額の生命保険が掛けられていたことから、
警察は保険金殺人の容疑で球磨子を逮捕。
マスコミもこぞって球磨子を“クロ”と断定する報道を過熱させるが、
球磨子は証拠がないと、身の潔白を主張して譲らない。
公判を前に、引き受け手のいない球磨子の弁護人に、一人の女が名乗りをあげる。

女の名は佐原律子──彼女もまた過去にトラウマを抱えていた…。

初対面から水と油のようにソリが合わない球磨子と律子。
裁判が劣勢に陥ると、二人はさらに激しく対立するようになる。

果たして、裁判の行方は……!?


■スタッフ・キャスト
原作  松本清張『疑惑』(文春文庫刊)
脚本  山中隆次郎
演出  河毛俊作

鬼塚(白河)球磨子       浅野ゆう子
秋谷茂一            原田龍二
河崎三郎(球磨子の情夫)    なだぎ武
高橋検事            伊藤正之
藤原好郎(目撃者の青年)    川野直輝      
白河一葉(福太郎と前妻の娘)  緑友利恵
白河福太郎(球磨子の夫の資産家)モロ師岡
佐原章夫(律子の夫)      佐戸井けん太
佐原律子            高橋惠子

一等席は13000円。正直、その値打ちはなかった。友人が大阪府の半額券をとってくれたので実際に払ったのは6500円だったのだが、それでもまだ値打ちはなかったと思う。南座の場所代もあったのだろう。でもこの南座で先日みた坂東玉三郎の舞踊公演との差は歴然。まあ、比べる方が無茶なんだろうけど。

浅野ゆう子を主人公、球磨子に起用したのが失敗。舞台に立つと彼女は「テレビ出身」だというのが、すぐに分かってしまう。演技に深みがなく上滑り。人物に入り込んでいない。テレビだとカットを多用してその誤魔化しが効く。でも舞台では誤摩化せない。

それに比べると弁護士、佐原律子役の高橋恵子はだいぶんマシ。『日本橋』では玉三郎と共演していたが、その経験が役立っている。というか、役作りの仕方がやっぱり映画出身者的で、テレビ的ではないから。テレビは製作に映画ほどの時間をかけられないから、演出家も適当なところで「妥協」せざるを得ないだろう。

新聞記者の秋谷役の原田龍二はテレビ出身(?)のわりには、役の理解はきちんとしていた。主人公球磨子の愛人役のなだぎ武も性格作りはできていた。たぶん舞台経験があるのだろう。

いわゆる「新劇」役者の大仰な喋り方、身体の動きが苦手だったけど、浅野ゆう子の演技もそれに近かった。解釈力がないとどうしてもそうなるのだろう。最近観ることの多い小劇場系の劇団の役者がおしなべて新劇役者より「上手い」のは、「解釈」という知的作業ができるからかもしれない。歌舞伎役者のように「身体ができている」わけではなくても、それをなんとか頭脳で補うだけの力があるということだろう。

それと、舞台装置も仰々しすぎた。凝ってはいたのだけれど、それが逆に舞台内容の薄っぺらさを強調してしまっていた。舞台を映画的に組み替えようとしていたのだろうが、それなら映画そのものを観ますよ。松本清張の原作は、推理小説ならではの真相探しとどんでん返しのおもしろさ、それに人物の複雑な心理、その絡みが軸になって展開する。舞台化するなら、そこを最大限表現できるようにすべきだろう。となるとかなりの演技力が要請されるわけで、役者にだれを持って来るかが自然と決まる。テレビ出身の俳優でそれに耐えうる人はそう多くないだろう。

観客の年代は新歌舞伎座等のこの手の演劇の観客よりも若干若目。歌舞伎だと最近は比較的若い層も来ているけれど、この日はほとんどみかけなかった。