歌手、Cocco主演の舞台だった。私は恥ずかしながらCoccoさんについては歌手だという情報程度しか知らなかった。
舞台「ジルゼの事情」は、バレリーナを夢見ていたCocooの発案により古典バレエ「ジゼル」を下敷きに、人気劇団「劇団鹿殺し」の丸尾丸一郎がオリジナル脚本と演出を担当。舞台を現代の渋谷にある寂れた喫茶店に置き換え、悲劇と喜劇が交錯する恋物語となっている。今年1月に行われた初演のチケットが即日完売となり、あまりにも多くのファンから再演が熱望されたため、約8カ月後という異例の早さでの再演が実現。
初演時を大きく上回る、東京・大阪で8,000人を超える動員を記録した本公演は、会場キャパシティが大きくなることで、舞台セットや演出面でも大きな変更を加え、さらには劇中に10月8日リリースのニューアルバム「プランC」の楽曲のインストゥルメンタルが一部使用されるなど、全てにおいてスケールアップしたものとなり、Coccoの演技力、美しいダンスシーン、そして迫力ある生の歌声は今回も観客を圧倒。特に彼女が舞台のために書き下ろした劇中歌「ドロリーナ・ジルゼ」を熱唱する姿は、涙を誘う名シーンとして記憶されることとなった。
その歌唱のサイトをリンクしておく。
タイトルから判る通り、ベースになっている筋はバレエ『ジゼル』。おおまかな筋は以下。
<初心な村娘のジゼルに貴族のアルブレヒトがその身分を隠して近づく。彼はジゼルに結婚を約束する。ジゼルに恋している村の若い男、ヒラリオンはそれが面白くなく、アルブレヒトの剣をその隠し場所からみつけ出し、それで彼の正体を暴いてやろうと計画を練る。
あるとき村にアルブレヒトの婚約者、パティルドが狩りの途中にやってきて、ジゼルと親しくなる。彼女がアルブレヒトの婚約者とは知らず、ジゼルは彼女と親しくなる。
ヒラリオンはついにジゼルと村人にアルブレヒトの剣をみせて、彼の身分を暴き立てる。懸命に弁明するアルブレヒトを尻目に、ヒラリオンはパティルドとその父のクルランド大公を連れて来る。もはや言い逃れができなくなったアルブレヒトをみて、ジゼルは絶望。母の腕の中で息絶える。アルブレヒトとヒラリオンは互いを責め合う。
森の中。真夜中。そこは処女の精霊、精霊・ウィリたちが集う場。ジゼルはウィリの女王ミルタによってウィリの仲間に迎え入れられる。森に後悔の念に苛まれたヒラリオンが尋ねて来るが、ウィリたちによって死ぬまで踊り続ける罰を受ける。
続いて、ジゼルを失った悲しみと悔恨にくれるアルブレヒトが彼女の墓を訪れる。亡霊となったジゼルと再会する。精霊の女王ミルタはアルブレヒトをも捕らえ、力尽き死に至るまで踊らせようとする。ジゼルはミルタにアルブレヒトの命乞いをする。やがて朝日が射し始め、ウィリたちは墓に戻っていく。アルブレヒトの命は助かり、ジゼルは朝の光を浴びアルブレヒトに別れをつげて消えていく。
骨格はほぼこの内容をなぞっていた。
汁是優子は母親といっしょに渋谷で喫茶店をやっている。はやっていない喫茶店、地上げ屋が2020年のオリンピックに向けてその場所を強引に買い取ろうとしている。彼女の父と妹は数年前にバイクの事故でなくなっていた。それに優子は罪悪感を感じている。舞台が開くと、亡くなった妹が高校生の制服で登場、語り手になる。ここから現実と死後の世界とが交錯する。
優子は名前が表す通りの優しい娘。どことなく影があり、自信なさげなサマと、ファンタジーの世界に住んでいるかのような、はかなさが男からみると魅力でもある。喫茶店の馴染み客、森番太郎もその一人。それに対して母親は正反対。がさつで横柄で、優子が気弱なのをいいことに、彼女をまるで召使いのように使っている。ここでの母と娘の関係は説得力がありました。娘は常に被害者。これ実感です。
最近優子に近づいてくる男がいた。この男、虻レ一志、なんでも役者修行をしているとかで、シェイクスピア劇のフレーズを頻繁に引用する。もう三十はとっくに越えているのに夢見がちは優子は、その男の「文学青年」ぶりに惹かれていく。その男がやって来て、ついに彼女に結婚を申し込む。それを承諾する優子。嫉妬に狂った番太郎、男の正体を暴く決心をする。
喫茶店にちょっと場違いな若い女がやってくる。一見して金持ちの娘。優子に自分が近々結婚するのだという。実はこの娘こそ虻レ一志の婚約者だった。
番太郎は奔走し、その男が実は喫茶店を狙っている不動産会社の若社長であることを探り出す。優子に近づいたのも地上げが目的だった。優子に言うが、彼女は最初は信じない。虻レ一志が店にやって来た折に、番太郎はその証拠を彼に突きつける。仕方なく、自白する虻レ一志。絶望した優子は冷蔵庫に入って自殺する。
一転して夜の喫茶店。ドラッグクイーン風の男と若い女たちの店。クラブの様相を呈している。いつもは閉まっていた奥にある背景の幕が左右にあくと、そこは森。まさにバレエ『ジゼル』の世界。ただし森の中ではなく、あの世に開いている歓楽の世界。仕切っているのはドラッグクイーンの中年男。ここ、まるでロンドンでみた『ロック・オヴ・エイジズ』の舞台になっていた「70年代ロック・パブ」(?)の世界。そこで「接待する」のは『ジゼル』と同じく、この世に未練を残しつつ死んでいったうら若い女たち。やってくる男を殺しては、その生き血を吸って生きながら得ている。
そこに最近死んだばかりの優子が「新入りホステス」としてやってくる。ここから話が急転。ドラッグクイーン風の男が実は亡くなった優子の父、そしてホステスの中でいちばん若いホステスは優子の妹だったと判明。
そこに森番太郎がおびき寄せられ、殺されてしまう。次にやってきたのは虻レ一志。女たちは彼の生き血を吸うつもり満々である。優子は最初はそれに同意するのだが結局はそれができず、虻レ一志をその場から逃がそうとする。やがて夜は明け、あの世の住人たちはかえって行かなければならない。虻レ一志はおかげで九死に一生を得ることができた。
楽しい舞台だった。ただ、Coccoさんの演技というよりも、ドラッグクイーンの親分(優子の父)を演じた役者さんの存在感に圧倒された。こういう濃いキャラは今の20代、30代の人には出せないだろう。舞台に出て来たそのままで、演技がなくても「語りかける」キャラクターは、それだけで存在意義がある。とくに今の演劇界(一般)に於いて。だから演劇を板に乗せるなら、この濃いキャラを中心に据えて舞台作りをした方が、ずっと良い舞台になるだろう。