yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

マキノノゾミ演出・藤山直美主演『母をたたずねて膝栗毛』@大阪松竹座6月22日

一昨年の12月に亡くなった勘三郎が歌舞伎の枠を超え出て、藤山直美、柄本明、小島秀哉やら水谷八重子、波乃久里子などという歌舞伎外の役者と組んで、演出も久世光彦等の外部の人に任せた「パラダイス」シリーズ。私は残念ながら観ていないのだが、それを彷彿させる芝居になっていたのではないか。

藤山直美のみが主演の芝居を松竹座で三回観たことがある。どれも「天才」という域ではないような気がして、今回もそう気は進まなかったのだが、中村獅童、坂東巳之助、そして市村萬次郎といった歌舞伎界の人が入っているということで、チケットを取った。普通の歌舞伎公演のときより、席が取りやすかったので、動員を心配していたら、この日は日曜日ということもありほぼ満員だった。

出来は期待以上だった。脚本がよくできていたし、役者それぞれのニンにぴったりと合った役柄が割り当てられていたからだと思う。

松竹のサイトから「みどころ」、「あらすじ」、「キャスト」を転載しておく。

<見どころ>
様々なジャンルで活躍する豪華出演陣が、
大阪松竹座を爆笑の渦に巻き込みます!
母をさがしてドタバタ道中!
抱腹絶倒、爆笑必至!たくさんの笑いを、届けまっせ〜




<あらすじ>
時は江戸時代ー。
花見客で賑わう花のお江戸の飛鳥山で、久しぶりの再会を喜ぶ
女旅芸人のお福(藤山直美)と魚屋の忠太郎(中村獅童)。
だがそこへ、二人が育った大願寺が火事だという知らせが飛び込んでくる。

身寄りのない子供をひきとっては面倒を見ていた大願寺。
お福と忠太郎、そして忠太郎の女房お鶴(高橋由美子)の三人も、
幼い頃にその門前に捨てられ、一緒に育った仲だった。
寺を再建しようとお福が思いついたのは、なんと子供を捨て、
今は羽振り良く暮らしているという母親を探し出し、金を無心することだった。

道中、山賊に襲われた三人を助け用心棒を買ってでる謎の浪人、駿河弥五衛門(奥田瑛二)や、
母探しを手引する神出鬼没の手代・銀二(坂東巳之助)やらが現れ珍道中。
やがて三人は母親らしき女たちー上州水熊一家の女親分お浜(水谷八重子)、
阿波で小間物屋を営むお弓(大津嶺子)、丹後国宮津藩主の側室お縫(市村萬次郎)ー
と出会うのだが……。

波乱万丈! 奇想天外!「親は無くとも子は育つ」!?
豪華キャストが贈るてんやわんやの珍道中にどうぞご期待下さい!

<スタッフ・キャスト>
作
マキノノゾミ
 鈴木  哲也


演出
マキノノゾミ


出演

市村萬次郎

奥田  瑛二

中村  獅童

藤山  直美

水谷八重子
   
坂東巳之助

高橋由美子

大津  嶺子

藤山直美が演出段階からかなり「参加」し、アイデアを出したことが筋書からわかった。その分、大阪色が濃い舞台になっていた。彼女は今まで観た中ではもっとも彼女の「天才」ぶりがわかるほど、しっくりとそして自在に演じていた。彼女が勘三郎と約束しながら果たせなかった『道頓堀パラダイス』だったのでは。

もう一人の「主役」の獅童は期待はずれ。一生懸命直美に合わせようとしているのだけど、丁々発止とまでは行っていない。主導権は直美側。でもこれは仕方ないのかも。大阪特有のこーいアドリブに付いて行くだけでも大変だっただろう。その辺りは同情するのだけれど、それに彼なりに必死だったのには好感がもてたのだが、彼独自の「アドリブ」はいただけなかった。ムリがあって、笑うに笑えなかった。でもこの日のお客さんは親切。手を叩いていた。

期待通り、否それ以上だったのは(やっぱり)巳之助。先日みた『上州土産百両首』の牙次郎、良かったもの。あの猿之助と組んで遜色なかった。彼独自の牙次郎像を造型していた。これで見直したほど。おそらくお父上の三津五郎にもそういう「オカシ」の要素はあるんでしょうね。巳之助はこの芝居では徹底して「道化」役に徹して、それが東京の役者がムリしてやっているというところがなかった。計算した上のことだと筋書で判り、この人ただ者ではないと確信した。頭がイイ。

もう一人他を圧して、直美と渡りあっていたのが、萬次郎。この方もその出自(?)を活かして、歌舞伎言葉で喋るかと思えば、それをぱっと落として、この阿吽の呼吸がすばらしかった。直美さん、ちょっとたじたじとなるところもあったりして、少し萬次郎さんに喰われていましたよね。

そして水谷八重子。文句なしのパーフェクト。新派らしさをあくまでも崩すことなく、それでいてこの雑多な集団に溶け込んでいて、不自然さがないかった。むしろ新派のときよりも生き生きしていたような感じがした。彼女にもオカシの精神があるんでしょうね。

その他の役者さんたちについては別稿にする。

小劇場系演劇にある気取り、インテリ臭さ、高踏派気取りなんてのがなく、誰にでも取っ付きやすいように工夫されていた。『瞼の母』、『傾城阿波の鳴門』、その他の名作を「本歌取り」しているところも、馴染みやすさの一因だった。

観客のほとんどが大満足で帰ったと思う。27日までの公演なので、ぜひいらっしゃってください。コスパ最高です。