一、 『鉤簾の戸』 (こすのと)
二、 『黒 髪』 (くろかみ)
三、 『鐘ヶ岬』 (かねがみさき)
このチケットをとってくれた友人に大感謝。玉三郎本人の舞踊の最高峰だっただけでなく、日本舞踊の最高峰。どれだけ褒めても褒めたらないほど素晴らしかった!
地唄舞なるものを初めて見た。上方特有の舞踊で、いわゆる藤間流とか花柳流とかいう日舞のメジャーなスクールとは違っているのは、武智鉄二の本で知ってはいた。でも「eテレ」等でみる地唄の舞はどこか地味で実際に出かけてまでみようという気になれなかった。だから今回も玉三郎が踊り手でなかったら、行っていなかっただろう。多くの人は私とおなじ思いなのでは。
この日は千秋楽の前日ということで、花道をつぶした臨時席もすべて埋まるとうい盛況ぶり。玉三郎は定期的に南座で実験的なものも含む舞踊公演をしていて、私は何度かみているけれど、これほどの「混雑」は初めて。しかも観客の多くがプロかセミプロ、舞踊の経験者とおぼしき人たち。普通の歌舞伎の観客層とはあきらかに少し違った。そのほとんどがこの舞踊の「価値」をよく分かっている人たちだったと思う。
地唄舞も含めて日舞にはまったく疎い私でも、玉三郎のすごさはよく分かった。
『鉤簾の戸』、『黒髪』、『鐘ヶ岬』と、それぞれ衣裳も雰囲気も変えていた。『鉤簾の戸』、『黒髪』も引き入れられて、踊り手が表現する女の想いに否応なく同化させられてしまった。もともとの地唄が表す世界に玉三郎の解釈が加わり、お仕着せでない、独自の世界が展開していた。まさに人間国宝の至芸。
私がいちばん好きで、また取っ付きやすいと思ったのは地唄版「道成寺」とでもいうべき『鐘ヶ岬』。前の二つよりも物語性が濃い。当然所作も激しい。ただ歌舞伎舞踊の『道成寺』と違うのは、あの華麗な動きではないこと。もっと繊細で、花子の内面をより深く描いているところ。歌舞伎舞踊の方が薄っぺらくみえてしまうほど。もっとも玉三郎が踊るからそう感じるのだろうけど。
こういう芸(芸術)の頂点をみると、単純な私は「生きていて良かった」なんて思ってしまう。