この『勘太郎夢枕』、以前に一度観たお芝居だった。ダイヤさんが三味線をもって登場したところで、「あっ、あれだ」と思いだした。その折にもよくできたお芝居だと感嘆したしたが、この日はさらに感慨が深かった。たつみさんの口上では他劇団では演じていない芝居だという。おそらくお父様ののぼるさんの代、もしくはその前からのものだろう。かなり古い物だと思うのは、このお芝居が能の『邯鄲』、さらには旧く中国趙時代の故事、「邯鄲の枕」に由来するものだから。以前観たときには迂闊なことにそれに気付かなかった。
Wikiからの「邯鄲の由来」は以下。
趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。
中国においては粟の事を「黄粱」といい、廬生が粟粥を煮ている間の物語であることから『黄粱の一炊』としても知られる。いわゆる、日本の落語や小説・漫画でいうところの夢オチの代表的な古典作品としても知られる。
同義の日本の言葉としては「邯鄲夢の枕」、「邯鄲の夢」、「一炊の夢」、「黄粱の夢」など枚挙に暇がないが、一つの物語から多くの言い回しが派生、発生したことからは、日本の文化や価値観に長い間影響を与えたことが窺い知れる。現在ではほとんどの言葉が使われる事がなくなっているが、「邯鄲の夢」は人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られている。
能作品の『邯鄲』は「この世の栄華は『一炊(一睡)の夢』のようなもの」というこの故事のテーマを忠実に「再現」したもので、三島由紀夫の『近代能楽集』中の「邯鄲」もこのテーマに沿った作品だった。もちろん三島流にかなりひねりは効かしていますけどね。
長い前置きになってしまったけど、小泉版では「邯鄲」は「勘太郎」に変えられ、それがもとの故事の主人公、能ではシテの廬生に当たる。
『勘太郎夢枕』の筋は以下。控えていなかったので、ディテールに間違いがあるかもしれない。ご容赦。
三味線をもって旅をかけている勘太郎(ダイヤ)。荒れ寺に行き合わせる。住職(小龍)はなかなか面白い男で、荒れ寺になってしまったその理由を語って聞かせる。もとは檀家の多い寺だったのに、心中事件があって檀家が減り、遂には荒れ放題になってしまったのだという。その心中した男女は在所を追われてこの寺に行き着いた、曰く付きの二人だった。「その二人は寺の庭に埋めてあるので、ときどきその幽霊が出るのだ」といって、勘太郎を脅かす。もっとも最後にはそれは「事実」ではないとは断るのだけれど。すっかり怯えてしまった勘太郎。それでもそんな心中をする奴らは許せないと息巻く。どんな様子の二人だったのか、和尚に問い糺す。このあたりで、勘太郎自身がその心中した二人と自分と何かの関係があるのではないかと、観客に分かる仕組みになっている。
そこへやって来たのが物々しい様子の男たち。その中の長とおぼしき男(たつみ)が、「男と女の二人連れが来なかったか」と住職に聞き糺す。否定する住職に一両小判を投げて、一行は立ち去る。住職は大喜び。その金で酒盛り用の酒を買ってくると出かけて行く。
住職が出かけたあと、勘太郎は寝込んでしまう。そこに若い二人連れ(瞳太郎、みつき)がやってきたので目を醒す。二人は少し休ませてくれと頼む。二人の様子から追われて逃げていると察した勘太郎。二人に「説教」をする。このとき、つい自分の感情を抑えきれず吐露してしまうあたりのダイヤさんの演技、よかった。この辺りで、観ている方には勘太郎が男と逃げた女房を追っているのだと分かる。この二人連れの男の方は語りもの(義太夫?)の太夫だった。勘太郎の職業も語り物の伴奏をするプロの三味線弾きだった。勘太郎がつれないので、二人連れは仕方なく出て行く。
そこにまたもやさっき立ち去った一行がやって来る。事情を「察した」勘太郎。男女二人連れがさきほどまでその場にいたとばらす。その情報に感謝して、長の男はまたもや一両を投げる。長と思われる男は国定忠治の一の子分、日光の円蔵(たつみ)だと自身の身分を明かす。
そこからがダイヤさんの一人芝居。勝手な憶測で組み立てた筋書を披露する。それは国定忠治の寵を受けていた太夫が世話になっている忠治を裏切り、忠治の女と手と手をとって駆け落ちしたというもので、自身の(女房に逃げられた)口惜しさが滲み出ている。
件の男女二人が捕まって、その場に引き据えられる。そこに男達の親分、国定忠治がやって来る。忠治は女に自分のところに帰るなら許してやるという。男には仕置きをするという。それを聞いた三味線弾き、その「措置」に抗議する。女のみを赦し、男を罰するのは「片手落ち」でフェアでないというのだ。それを無視して立ち去る一行。どこからともなくおどろおどろしい物音が。そこに現れたのは三味線弾きの女房(の幽霊?)。三味線弾きに謝る。
三味線弾きが寝転んだ状態で手を高く振り上げ、忠治一行への怒りをあらわにしているところに住職が酒を持って帰って来る。三味線弾きが喚いているのを聞いて、不審がる。「えっ、夢だったのか」と目を醒す三味線弾き。
そこに夢に出てきた忠治一行がやって来る。その後からは件の男女二人連れもやって来る。それをみてほっとする三味線弾き。自分の境涯を見た夢と重ねあわせている。そしてひとつの「悟り」に達する。それはもう逃げた女房を追わないというものだった。いつも包みに包んで身につけていた女房の着物を住職に与える。自身の未練を断ち切る行為だった。今後どうするのかと聞く住職に、三味線を弾きながら旅をかけると応える。
ダイヤさんの三味線を弾く場面が最後になるはずだったのに、三味線のコマがとれてしまい、仕方なくいったん引っ込むダイヤさん。ほどなく登場し、得意の三味線を弾いて下さった。感涙ものだった。
もとの「邯鄲」では自身の現状に不満を抱いていた廬生が一炊の夢により、そういう欲すべてが虚しいもの、人の生そのものが盛衰を免れ得ないという「悟り」を拓き、立身出世のために都にのぼろうとしていたのを諦めて故郷に帰ってゆくというオチになっている。『勘太郎夢枕』ではそれがもっと人間臭く、男女の愛憎に替わっている。でも「悟り」を拓くという点では同じ。こちらは逃げた女房への未練を断ち切るという展開になっている。それに旅芝居の十八番、国定忠治を絡ませ、観客を喜ばせる工夫のあとがみられる。
たつみさんの口上。芝居の時間がオーバーしたのは、ダイヤさんの三味線のコマがとんでいたからだとの「おことわり」。いつもはご自身のアドリブの所為なのだけど、今回に限ってはそうでなかったことを(必要以上に、大得意げに)「強調」。そういや、この日のたつみさん、いささか影が薄かったような。ダイヤさんを立てようといつもの「脱線」をセーブしておられたんでしょうね。
さきほど引用したWikiでは、「邯鄲」は曲芸、軽業の芸として見世物小屋などでみられたのだという。それがどんな経緯、ルートで旅芝居に入って来たのだろうか。そこのところに興味がつきない。
それにしても、ほんとうによくできたお芝居。構造がかっちりとしていて、最後の「悟り」にいたる流れに不自然なところがない。小泉のぼるさんがこれを作られたのなら、すごいとしかいいようがない。