yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

新猿之助の『黒塚』in 「吉例顔見世興行」@京都南座12月23日

今年の顔見世、正式には「當る午歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」という。二代目市川猿翁
、四代目市川猿之助、九代目市川中車の襲名披露でもある。今年1月に大阪松竹座で「二代目市川猿翁、四代目市川猿之助 九代目市川中車 襲名披露 壽初春大歌舞伎公演「を観ていて、この南座公演の昼の部にも入っている『義経千本桜』の「川連法眼館」は目に焼き付いている。今月の南座顔見世公演、スケジュール的にタイトだったので、パスするつもりだった。でも、澤瀉屋の演じ方での『元禄忠臣蔵』「御浜御殿」を観てみたい、また『黒塚』を四代目猿之助がどう演じるのか観たいという気持ちが強くなって、夜の部のみチケットを取った。以下は『黒塚』の配役とあらすじ。

第三 猿翁十種の内 黒塚(くろづか)
        老女岩手実は安達原の鬼女  亀治郎改め猿之助
               山伏大和坊       門之助
               同 讃岐坊       右 近
               強力太郎吾       猿 弥
               阿闍梨祐慶       梅 玉



那智大社の阿闍梨裕慶が他の僧たちと修行行脚をする道中、陸奥の安達ヶ原に行き着く。日も暮れ困っていたところ、小さな庵を見つける。老女が一人住まっていた(老女の影が障子に映るのが次の場の暗示にもなっている)。糸車を手繰っていたその老女は祐慶に自分の境涯を語って聞かせる。同情する祐慶。薪をとって来るといって、庵をあとにする老女。彼女の留守中に決して寝室を覗いてはならないと言い残して。しかし強力太郎吾は、祐慶がとめるのも聞かず、寝室を覗く。そこには死骸の山が。

安達ヶ原に薪取りに出た老女。祐慶の深い同情と説法に心を動かされ、嬉しさのあまり童女の頃を思いだしながら踊る。この場面、とても美しい。なんという繊細さ!バックで演奏される琴、尺八にあわせた長唄がそれを補佐する。さすが歌舞伎、場面設定は完璧である。能では演出しない(できない)工夫が見られた。「幽玄」をススキの群れ、三日月によってみごとに具現化していた。この月、人の心のうちをそのまま反映させているような、翳りのある月である。

あわてふためいて逃げて来た太郎吾を見て、老女は一行が寝室を覗いたとを知る。怒る老女。鬼女と化して取って返す。僧たちを喰い殺そうとする鬼女とそれを調伏しようとする祐慶とその同輩の僧たちとの息詰るような闘いがある。遂に鬼女は負け、力果てる。

四代目猿之助が」『黒塚』は「三代目猿之助の代表作」の一つというだけあって、澤瀉屋の芸のエッセンスが詰まったものになっている。私は以前の大阪新歌舞伎座で三代目のものを観たことがある。能では「黒塚」、あるいは「安達原」という五番目(鬼女)ものである。三代目の『黒塚』、二回はみているはずなのに、細部の記憶が確かでない。印象的だったのが最後の僧たちと鬼女との立ち回り部分。そこは鮮明なのだけど。猿之助の動きがダイナミックではあるものの重い感じがして、能と比べて不満だったことを、今思いだした。

で、今回の四代目猿之助のものは、私の記憶にかすかに残っている三代目の動きと比べると、ずっと軽やかだった。もっといえば「洗練」されていたように思う。より舞踊的というべきか。それは今年1月、大阪松竹座でみた『義経千本桜』の「川連法眼館」の場での源九郎狐の動きにも感じたことだった。三代目と演じ方は変えていないはずだけど、所作を作りだす身体の持って行きかたの微妙な差である。力で押すのではなく、緻密な計算の上での動き。そのためだろう、四代目のは三代目と比べると、より繊細な感じが強い。私はこちらの方が好み。それにしても、四代目が従来の型をそのまま踏襲しながらも、より自分らしさをだすことに腐心し、また成功させていることに、ただただ頭が下がる。陰の精進、それと工夫が並大抵のものでないに違いないから。これを観ただけでも、この場に足を運んだ意味があった。