yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

瓢箪から駒

今週月曜日の教授会で何人かの退職教員が発表され、その中に私も入っていた。先月10月の会議では定年退職の教員が発表されたのだが、その人たちはある意味「想定内」の面々だった。今回は定年以外の教員全員で、中には「えっ?」と驚く人もいた。その「驚かされた人」には、学部は違っていてもなにか親近感を感じてしまった。

昨日そのご当人に呼び止められ、互いの今後の身の振り方について話が盛り上がった。「辞めると決めたら、急に腹が立って来たんですよ」とその方は仰っていた。よほど腹に据えかねることが多々あったのだと推察できた。どちらかというと(私と違い)オトナシメの方だったので、意外だった。非常に誠実で、学生の面倒見も良い方だったので、この方を失うのはかなりの「損失」だと思うけど、そんなことは大学にとってはどうでも良いことなんだろうと、大学の将来に対する危惧の念がより強まった。

火曜日以降、色んな人にすれ違うたび、「どこ(の大学に)行くの(つまり、移るの)?」と聞かれる。そのたびに、「辞めてやりたいことに専念するつもりです」と応えるのだけど、最近は面倒になって、「アメリカに行きます」と云うことにした。そうすると、「やっぱり」と云われてしまう。よほどの「アメリカ信者」と思われているらしい。今日職員食堂で、長年親しくしている方にまたもや「どこ行くの?」と聞かれて、思わず「スタンフォード(大学)に行くわ」と答えてしまった。瓢箪から駒。それも一案のような気がしてきたから不思議。彼曰く、「ボーイフレンドでもいるんじゃないの」。がっかりさせては申し訳ないので、「そう、愛人がね」と答えておいた。

「色気」どころか雲を掴むような曖昧な案ではあるけれど、これも「あり」かもしれないと思い始めた。正直、母校のペンシルベニア大へ戻るというのも考えたけど、それだとあまりにも安易。「挑戦」するのであれば、馴染みのない環境を選ばなくては。サンフランシスコには友人もいるので、まったくマッサラな環境というわけではないにせよ、フィラデルフィアよりは馴染みが薄い。それに今思いだしたのだが、スタンフォード大の図書館にはペン大で仲良くしていた中国部門司書のジドンがアジア・セクションの長になって納まっている。その点でも便宜を図ってもらえそう。

スタンフォードのあるパロアルトは市街からはちょっと遠いので、カリフォルニア大バークレー校の方が良いかも。これも向こう様の判断によりけりなので、私があれこれ妄想しても仕方がない。

辞めた後はプロジェクトを形にすることに専念するつもりだが、それは日本にいようが日本外の地にいようが同じことである。資料収集の面で、日本にいる方が有利になるだろうが、それだって文献の電子化が進んだ今日、それほどの差はないだろう。ただ、アカデミックな環境の確保という点では、残念ながら日本よりアメリカの方が優位なのは間違いない。海外にいることの大きなデメリットがあるとすれば、日本の演劇を直に観る機会が少なくなることだろう。とはいえ、それは日本に帰れば済むわけで、お金があれば解決できることである。だから、その「フィナンシャルな問題」が一番の「問題」かもしれない。