yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

オペラ『魔笛』プラハ国立歌劇場公演@神戸文化ホール10月27日

神戸文化ホールには苦い経験がある。去る6月30日のハンガリー国立歌劇場オペラ公演(『トラヴィアータ』)のときに迷惑客に辟易した。だから、行くのに二の足を踏んでしまう。ただ、この公演のチケットは4月にすでに買っていたので出かけざるを得なかった。プラハ国立歌劇場のオペラは、去年3月にプラハで聴き、その実力の程を知らされていたので、見る前から予想はついていた。その予想に違わず、すばらしい公演だった!会場はshabbyだったけど、それを公演のすばらしさが補って余りあるものだった!

以下、公式サイトからの写真をアップさせていただく。

『魔笛』を実際にみるのは初めて。CDの完全版は持っているのだけれど、どうしても気にいったところ、例えばパパゲーノのアリア、夜の女王のアリア等ばかり聴くことになってしまう。新しい発見がいくつかあった。モーツアルトが当時としてはとんでもない「挑戦」をしているのだ。キリスト教への挑戦と看做してしまうような挑戦を。多神教のオリエント文化賞賛ともとられるような内容である。ザラストロと夜の女王との対立がとくに興味深かった。これをジェンダー・スタディでとりあげた研究者はいるのだろうか。欧米の研究者で、こんな「おあつらえ向き」のものを放っておくはずがないだろうけど。その上、ポスト・コロニアル・スタディでも格好の題材を提供してくれる。ワーグナーの「指輪シリーズ」とも通底する題材である。

もちろん歌い手もすばらしかった。主要な役には数人の歌手を揃えている念の入れようである。さすがプラハ国立歌劇場。ウィーンにも負けない層の厚さだ。世界でトップクラスの歌手達が集まって来ている。そのひとりひとりが互いに化学反応を起こして、最高のオペラを魅せてくれる。目の、耳の至福である。

プラハがすばらしいのは、そのなんともいえない温かさだと思う。そこが、こちらに挑戦してくるようなMETのオペラとの違いだろう。プラハという場所の特異性もあるかもしれない。おそらくウィーンとも違っているのだろう。でもそれはやっぱりプラハで聴いた方がよく分かる。観客が舞台と一体化していた。神戸のこのホールの観客も悪くはなかったけど、どうしても「よそゆき」感がつきまとっていた。

パパゲーノ役のミロッショ・ホラークが良かった。夜の女王のヤナ・ベルナートヴァーも悪くなかったけど、やっぱりエリカ・ミクローシャで聴きたかった。彼女は東京公演のときだけ出たようである。タミーノのマルティン・シュレイマーはプラハでみた(国民劇場の方)『カルメン』でたしかドン・ホセをしていた人だと思う。ザラストロのズデネック・プレフの歌唱力には圧倒された。力強いと同時に深い滋味に溢れていた。