yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『通し狂言 夏祭浪花鑑』@大阪松竹座10月10日夜の部

松竹のサイトからの引用は以下。

序幕  お鯛茶屋の場
         住吉鳥居前の場
    
二幕目 内本町道具屋の場
       横堀番小屋の場
    
三幕目 釣舟三婦内の場
        長町裏の場
    
大詰  田島町団七内の場
       同  大屋根の場

<配役>
団七九郎兵衛 愛之助
一寸徳兵衛 亀 鶴
玉島磯之丞 薪 車
団七女房お梶 壱太郎
娘お仲 新 悟
傾城琴浦 尾上右近
下剃三吉 萬太郎
番頭伝八 猿 弥
徳兵衛女房お辰 吉 弥
釣舟三婦 翫 雀
義平次  橘三郎

<みどころ>

 和泉浜田藩家臣、玉島兵太夫の子息玉島磯之丞は堺お鯛茶屋の遊女琴浦と恋仲となります。横恋慕する大鳥佐賀右衛門にそそのかされ遊興にふけり、その放蕩が主君の耳に聞こえ父より勘当されてしまいます。堺の魚売り団七九郎兵衛は佐賀右衛門の中間との喧嘩がもとで入牢中でしたが、女房お梶の願いを聞いた兵太夫のとりなしにより、出牢を許されます。恩人の子息磯之丞とその恋人琴浦を佐賀右衛門から守ろうと、団七は、お梶や義兄弟の契りを交わした一寸徳兵衛、その妻お辰、釣舟三婦らと奔走します。しかし、強欲な舅三河屋義平次がお金に目が眩み琴浦を拐(かどわ)かし、連れ去ってしまいます。奸計(かんけい)に気づいた団七は長町裏で義平次に追いつき、言い争いの末…。

 並木千柳、三好松洛、竹田小出雲の合作で、大坂の堺の長屋裏で実際に起こった殺人事件をもとに、延享2(1754)年、大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演され、翌月歌舞伎化されました。前半の侠気ある男女のドラマから壮絶な迫力の殺しの場へとつながっていきます。長町裏の場は“泥場” とも呼ばれ、殺しの場面が高津宮の賑やかな祭囃子に乗って錦絵のように繰り広げられ、陰惨な悲劇をよりいっそう印象づける、歌舞伎美溢れる演出となっています。

 浪花の侠客の意地と粋の世界を夏祭の風情の中で描いており、通常なかなか上演されることの少ない場面も加え、随所に見どころ豊富な通し上演でお目にかけます。

今までみてきた『浪花鑑』は序幕、大詰のない二幕目、三幕目だけのものだった。それを通し狂言にしたところに、座頭、愛之助のなみなみならない意欲を感じる。たしかに序幕は磯之丞が琴浦に入れあげて、勘当になる経緯と団七とその妻、お梶がなぜ磯之丞の父に恩義を感じているのかその理由が明らかになるので省略しないほうが、あとの出来事がすんなりと観ている側に入ってくる。

ただし、最後の大詰は不要だったような気がする。ハイライトの屋根の上の立ち回りはいかにも江戸歌舞伎らしく、「屋根上の立ち回り」系列(?)の見せ場全開ではあった。ただすでにその前の幕で団七と義平次との陰惨極まりない、長時間にわたる「立ち回り」があるわけで、こちらをより強調するという観点からは、大詰立ち回りは不要だったのではないか。私の後ろの席の年配女性たちは、とても満足していたようだけど。大阪の観客は東京とは違うのかもしれない。

この団七と徳兵衛が大活躍し、その二人が立派な見得を切ってみせるこの大詰をつけると、くどく、重くなる。第三幕目の壮絶な殺しが生きなくなる。この三幕でもっとも重要な団七の台詞、「悪い人でも舅は親」が、それを言わざるを得ない団七の苦衷が際立たない。彼の舅殺しの深刻さが観客の胸に迫るのを、最後の立ち回りの華々しさ、美しさが中和してしまう。

それにしても愛之助が思う存分やりたいようにやれているのが分かったし、それがびんびん伝わってきて、こちらも嬉しくなった。共演者の亀鶴もクールな侠客(これも私が今まで描いていた徳兵衛のイメージからはかなりずれるが)を淡々とかつ理知的に演じて、安定感があった。三婦の翫雀も良かった。親子の息がぴったり合っていた。でもだれよりも、猿弥の番頭が秀逸だった。昼の部の『大坂純情伝』の山本森右衛門も最後の締めにその本領発揮だったが、この番頭はコミックリリーフとして、屹立していた。

女形ではなんといってもお辰の吉弥。はじめて役柄どおりの男勝り「美人」にみえた。壱太郎もみるたびに毎回色気が増している。さすが藤十郎の孫。