以下、公演情報サイトから。
<みどころ>
ついに大阪初上演!歌舞伎界の風雲児・市川猿翁率いる澤瀉屋一門がおくる新趣向と臨場感あふれる大冒険活劇中国四大奇書のひとつ「水滸伝」をもとに猿翁一門ならではの趣向を凝らし創られた壮大なスケール感あふれる大活劇「新・水滸伝」。主人公・林冲が個性豊かな面々と出会い、志を共にし悪政に立ち向かう勧善懲悪の痛快さ、「宙乗り」やアクロバティックでスピード感のある立ち廻りなどのケレン味あふれるアクション、華麗な衣裳、斬新な舞台構成など見どころ満載!
脚本・演出 横内謙介
演出・美術原案 市川猿翁
<出演者>
二十一世紀歌舞伎組
[梁山泊関係者]
林冲 市川 右 近
青華 市川 笑 也
王英 市川 猿 弥
姫虎 市川 笑三郎
お夜叉 市川 春 猿
公孫勝 市川 寿 猿
彭玘 市川 弘太郎
晁蓋 笠原 章[朝廷関係者]
祝彪 市川 猿四郎
高俅 市川 欣弥<あらすじ>
「何かが始まる気がする」―― 絶望と閉塞感に満ちた暗黒の時代。 暗闇に射す一筋の希望の光が、やがて一人の英雄を生んだ・・・・・・!北宋の国は乱れていた。梁山泊(りょうざんぱく)に根城を構え、悪党を束ねて暮らす好漢・晁蓋(ちょうがい=笠原章)は、役人たちの不正に憤り「こんな国はぶっ潰そう」と思い立つ。かつて兵学校の教官まで務めながら、数多くの罪で牢に繋がれた天下一の悪党・林冲(りんちゅう=市川右近)の噂を聞き、仲間に入れようと腹心の公孫勝(こうそんしょう=市川寿猿)に助け出させる。その後、林冲は梁山泊を訪ねるが、晁蓋の留守を預かる女親分・姫虎(ひめとら=市川笑三郎)や美貌の殺し屋・お夜叉(=市川春猿)たちとそりが合わず酒浸りの日々。そんな時、隣町・独龍岡の若き跡取り・祝彪(しゅくひょう)が攻撃を仕掛けてきた。晁蓋の右腕・宋江を指揮官として、山賊あがりの王英(おうえい=市川猿弥)ら梁山泊の猛者たちが闘いに繰り出してゆく。が、祝彪の背後には何と朝廷の重臣たる高俅(こうきゅう)率いる屈強の朝廷軍が控えていた……!姫虎は林冲に戦術指導を願い出るが「悪党のくせに絆だの仲間だのと白々しい」と一笑に付される。そんな林冲を、かつての教え子で今は朝廷軍の兵士となっている彭玘(ほうき=市川弘太郎)が密かに訪ね、林冲から授けられた「替天行道」の書を捧げて下山を迫るが、林冲はこれも邪険に追い払う。一方、敵ながら男顔負けに戦う祝彪の許嫁・青華(せいか=市川笑也)に王英が一目惚れしてしまう。だが、想いを伝えようとした王英はお夜叉とともに青華に捕縛され、祝彪は好機とばかりに二人の身柄と林冲の交換を申し出る。しかし人質交換は偽りで、林冲もまた二人と共に牢に繋がれてしまうのだった。実は高俅こそが林冲に皇帝への叛逆の罪をなすりつけた張本人で、目障りな林冲を梁山泊もろとも踏みつぶそうと目論んでいたのだった・・・・・。
三代目猿之助が始めた「スーパー歌舞伎」の一つで、今までの「歌舞伎」の通念をぶっ潰すところから出発している。その過激さに見合った内容、そして装置だった。題材を中国にとることもその一つ。歌舞伎にも近松の一部中国を舞台にした『国性爺合戦』のような作品もあるが、題材、舞台、人物、すべてが中国のものというものはない。それも一大スペクタクル。「ス―パー歌舞伎」の呼称に相応しい規模の大きさだ。私にとって、これが「ス―パー歌舞伎」の最初のものとなった。残念ながら三代目猿之助のものを観たことがない。今回のものとは違ったのだろうが、それでも方向性は同じだったに違いないし、衝撃度も同じだったに違いない。最新鋭の舞台装置を使うところは、今回のものの方が「進化」しているだろう。でもあのころから、その過激さで評判をとった「ス―パー歌舞伎」。使える装置はとことん使い尽くして、舞台化したのだろう。その雰囲気は、この舞台にもきちんと伝わっていた。
面白いのは、そういう最新鋭の設備、装置を使いつつも、ベーシックなところでは「歌舞伎スタイル」をそして「歌舞伎コンセプト」をきちんと踏襲していたこと。もちろん人間、つまり役者も歌舞伎的身体の持ち主だった。澤瀉屋一門の役者たちは当然だが、それ以外に、剣戟の専門の人たちを30名以上集めて参加させていた。晁蓋を演じた笠原章は新国劇出身らしい。殺陣場面でも、そう違和感なくみていられたのも、こういう「専門家」が集結していた所為だろう。役者には横内謙介自身の劇団の人たちも混じっていた。この人たちは、伝統演劇の身体からは多少、ずれていたかもしれない。
「梁山泊」が『水滸伝』に由来することを初めて知った(無知が恥ずかしい)。盗賊どもが集落をなしているこの場所の舞台装置がこの芝居のスケールの大きさを最も良く示しているだろう。舞台の左右に広がる小高い「屋台」、前面は屋台だが背後面は階段状になっている。廻り舞台の上に乗っているその屋台が、舞台転換の装置の一つとなる。別の工夫は前面に降りるスクリーン。そして極めつけが、スライド式に上下する天井から降りた横いっぱいの巨大な鏡。これには客席が映りこみ、三階席からは劇場自体が倍以上になった壮観さだった。立体的な舞台作りに成功していた。
これらの装置を最大限に使って、舞台転換をしていた。幕(それも歌舞伎の定式幕と同じく下手から上手へと閉まるもの)も使ったが、ブレイクという形を採らなかった。閉まった幕の前で演技するというのも、歌舞伎でも見かけるが、それ以上に大衆演劇では常套。そういや、歌舞伎というより、大衆演劇の舞台に非常に近かった。また「劇団新感線」の舞台との親近性も強く感じた。「新感線」が真似をしたのだろうけど。
新歌舞伎座がまだ新しいためでもあろう。設備の数々、安心して見ていられた。だから、2回の宙乗りも危なげなかった。おもわず旧式な設備の新橋演舞場と比べてしまった。
随所にお説教調のメッセージが出てきたのが、興ざめだった。猿翁自身がこの公演に寄せたメッセージに、「この公演が、日本の未来を切り拓く一助になって欲しい」といったようなことを云っている。でも、それはことさらいう必要のないことだと思う。
もう一つ残念だったのが、こんなにすばらしい舞台装置、役者を揃えている割には、心の震えるような感動が薄かったこと。「すばらしい」と来て、あと、「芝居だった」とは続けられない。「装置だった」とは言えても。こんなに良い役者がうちそろうという好運を、もうひとつ生かしきれていなかった。脚本に原因があるのでは。構成のみならず、人物関係をもっと整理した方が良いように思う。いくつもの「挿話」で枝葉化するのではなく、焦点を合わせるところを、テーマを、さらに絞り込んだ方がよかった。たしかにもとの話自体が膨大、それを2時間余りにまとめるというのは至難の技で、すでにそういう取捨選択をしているのだが、それでもより強いインパクトをもたらすためには、涙を呑んで絞り込んだ方が良かったように思う。例えば、「民衆が飢えに苦しんでいる」といったヒューマニスティックな挿話は思い切ってカットするとか。それに重点を置いて描くのであれば、すべてがそこに収斂するように再構成するとか。
客席を役者が走り回り、それを巨大な鏡が映し出すという工夫。舞台はもともと「3D」だけど、それをより強調することで、否が応でも臨場感が高まる。観客も参加しているという意識が強くなる。それで異国のしかも15世紀の「旧いお話」が、今現在進行形のものに変容する。現猿翁の始めた「スーパー歌舞伎」がそういうものを目指していたし、今後もこの「二十一世紀歌舞伎組」がそれを目指し続けることが、非常に良く理解できる舞台だった。
千秋楽だったので、最後に右近からの役者全部の紹介があった。もともと芝居が始まる前にも右近が挨拶をしていたのだが、この日はそれに加えてのサービス。以下の写真のように並んだ役者一人一人の紹介で、「役者と客席が一体になった感」がより強くなった。「来年もぜひ大阪に呼んで下さい」という右近のアピール、効いたと思う。