yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『新歌舞伎十八番の内
紅葉狩』@国立劇場 6月3日昼の部

「歌舞伎鑑賞教室」の後での上演だった。プログラムとその解説は以下に貼っておく。

以下はこの若手二人の写真とそれぞれのお父上の写真。

この二人が『紅葉狩』の中でつかわれる「竹本」、「長唄」、「常磐津」の3つの「音曲(おんぎょく)」を紹介するのだが、そういえばこの演目、三つが上手く組まれているんですよね。歌舞伎の音曲解説にぴったりと感心。

この解説をこの二人の担当にしたのは、観客の多くが高校生だったことを考えると大成功だったように思う。ふたりとも物怖じしない、若さ溢れる生きのよさで、地を出しながらの解説、高校生も盛り上がっていた。とくに立ち回りを二人で模擬演技してみせたのは、大受けだった。『紅葉狩』にもこの二人が登場したのだが、主役はお父上がはっていたにせよ、若手の彼らの方に視線が集まったことは間違いない。

ちらし裏の演目紹介にもあるが、『紅葉狩』はもとは能作品で、「歌舞伎への誘い」サイトによると、「平維茂(たいらのこれもち)による信州の戸隠山(とがくしやま)の鬼女退治を描いた同名の能の作品から歌舞伎化」されたものだという。以下に同サイトからの解説を引用する。

戸隠山へ紅葉狩りに訪れた維茂は、更科姫(さらしなひめ)という姫に出会い、勧められるままに酒を飲みます。やがて更科姫は鬼女の正体をあらわして、酔いつぶれた維茂に襲い掛かりますが、維茂は名刀小烏丸(こがらすまる)によって難を逃れます。
1人の俳優が、前半の「赤姫(あかひめ)」とよばれる典型的なお姫様の姿と、後半の激しい動きで維茂と戦う鬼女の姿を踊り分ける点に見どころがあります。
1887年[明治20年]、9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)の更科姫実は戸隠山の鬼女、初代市川左團次(いちかわさだんじ)の維茂で初演されました。維茂の烏帽子(えぼし)や狩衣(かりぎぬ)は史実に基づいた扮装で、当時の團十郎が積極的に演じていた「活歴物(かつれきもの)」の影響を受けています。

ちらし裏にもあるように、みどころの一つが更科姫の「二枚扇」の舞である。扇雀はあでやかに舞った。普通の舞踊のふりよりは大きく舞っていたのは、後に彼女が鬼女になる兆しを示すためだという。寝入ってしまった維茂に襲いかかる流れを、効果的に機能させるためである。対する錦之助の維茂は、若く美しい貴公子然としていて、この役がニンにぴったりだった。萬屋はみなさん美形ですね。それもクセのある容貌が多いなかで、この方は正統派美男子である。貴族役が最も似合う役者の一人だろう。

もう一つのみどころは、維茂とその一行、そして鬼女の立ち回りである。歌舞伎常套のテンポの緩やかなものではなく、かなり動きの激しい、それこそ殺陣に近いものだった。扇雀がこれほど激しく「立ち回る」のを初めて観た。若い観客はこういうテンポの速いものには、即反応する。彼らの注意が舞台一点に注がれているのが、二階席からよく分かった。

これは「新歌舞伎」演目の一つだそうである。新歌舞伎といえば、最近では海老蔵が復活上演に熱心である。これはその中でも有名な狂言の一つだろう。若い観客を取り込んで行くには、こういう従来の歌舞伎の枠を超えて、ダイナミックな動きが随所に入った演目を出して行くのが近道かもしれない。