「杉山寧展回顧展」
上は回顧展チラシとリンクしている。
その解説が以下である。
戦後日本を代表する日本画家の一人、杉山寧の没後20年の回顧展を開催いたします。杉山寧は、1909年(明治42)、東京に生まれました。東京美術学校日本画科に在学中から、第13回帝展で特選を受賞するなど、早くから才能を開花。その後、1963年(昭和38)には、ピラミッドなどをモチーフにした、旺盛な連作を発表し、人気を博します。対象をしっかりと捉え、すぐれた造形から生まれる作品は、どれも強い生命力をたたえています。1970年(昭和45)日本芸術院会員、1974年(昭和49)文化勲章受章、文化功労者となり、その後、1993年(平成5)に84歳で没するまで、精力的な活動を続けました。本展では、初出品を含め、初期から晩年までの代表作を含む約70点を一堂に展覧。杉山芸術の力強い歩みを振り返ることで、日本画の力を再認識されることでしょう。
70点あまりの作品が一堂に会しているのは圧巻だった。それも杉山寧の画家としてのステージをすべて網羅していて、内外の主要美術館の特別展の様相を呈していた。
第一章:画壇への登場と戦後の出発(1929−1952)
第二章:抽象傾向の時代(1932−1962)
第三章:エジプト連作(1963−1967)
第四章、人体・裸婦の時代(1969−1973)
第五章、カッパドキアへ
第六章、東洋の憧憬(1985−)、
彼の画家としての作品の特徴をテーマに六つの章分けにしての展示である。重なっているところもあるが、だいたいこのテーマに即して絵が描かれてきたわけである。
初期の作品からすでにそのデッサン力には瞠目すべきものがある。細密、正確なデッサン、清明な画調はそこから生まれてくる。それに加えて、その線描の一つ一つが「厳しい」線で成り立っている。大きなキャンバス作品のタイトルの多くが一語である。鑑賞者がタイトルからイメージしてしまうそれを拒んでいるかのようである。余分なもの、そこから派生する雑味、雑音を捨象している。あくまでも自身と絶対的超越者との対話にすべてを還元しようとするかのような、そういう厳しさ、それを感じさせる命名である。
ふつうの意味で美しいというのではない。私が今までみてきた日本画は美しかったが、そこにこちらの魂を揺さぶるような力を感じることがなかった。ところが杉山の絵はダイナミックなのである。でもそれはこちらに直接迫ってくるというより、もっと距離をとらせようとするもの、距離を取った上で「さあ、おまえはこれをどう鑑賞する」という迫り方をしてくる。かなり厳しい距離の取り方を強いてくる。ここでもやはり、「厳しい」のだ。
いわゆる「日本画」ではない。どうジャンル分けをしていいのかわからない。そんな新境地を拓いている。貪欲に今まで日本画ではご法度だったような描き方、コンセプトに挑戦した結果が、このような形態を生み出したのだろう。おそらく当初は日本画画壇は当惑したことだろう。拒絶反応もかなりあったのではないか。それでもこの画家はそれを組み伏せるだけの、そんな強靭な精神で屹立していたのだろう。それがあの「厳しさ」として、顕れているように思う。
私が一目見て、目が離せなかったのは、抽象期の「耿」(こう)と「仮象」だった。不思議な色合いの背景。「耿」は光の意味らしいのだが、どちらかというと沈んだ色合いの背景に黄色い光線が浮かび上がるように描かれている。「化象」は、ロスコーの絵を思い出させる色調、そこにブルーの楕円形が浮いている。幻想的で同時に力強い。これらはもはや日本画ではない。炎を描いたという「黄」もすばらしかった。
カッパドキア写生旅行から生まれたという「粠」は北欧の絵でみたことのある、独特のブルー、そのブルーの濃淡で岩山の夜景を描いている。幻想的である。一方、エジプトの連作は幻想的というより、あくまでも乾燥した空気、その感触とピラミッドという人工物の即物性の対比が際立っている。
彼の作品は先ほども書いたように余分な雑味を排している厳しさの上に成立しているのだが、ちょっとそれらとは違った性質の絵もあって、おどろいた。鯉の絵である。ぼてっとした量感、それにぬめぬめとした鯉の肌の質感が組み合わさって、妙にエロティックだった。
この回顧展は日本橋高島屋で3月25日まで開かれている。
杉山寧画伯のご子息の晋さんが、この私のブログを読まれて、連絡をくださったのがこの回顧展にご縁ができたきっかけだった。ほんとうに驚いたし、うれしかった。こんなにすばらしい絵の数々を間近で見ることができ、また日曜美術館で感動した絵のいくつかも実際に鑑賞することができて、素敵な経験をすることができた。解説もしていただき、またご親族としてのお話も伺うことができ、収穫が大きかった。そしてなによりも、三島由紀夫のお話も少し聞くことができた。三島夫人は杉山画伯のご長女、瑶子さんだったから。晋さんのお姉さまである。「三島が近くなった」なんて厚かましいことは言わないが、それでもなにがしかの「親しさ」を感じたのも事実である。不思議。