yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

池波正太郎『食卓の情景』、新潮文庫1980年初刊

アマゾンに注文していた池波正太郎の『食卓の情景』

食卓の情景 (新潮文庫)

食卓の情景 (新潮文庫)

が届いたので、早速読み始めた。図書館で借り出した『鬼平犯科帳』の方には目もくれず(第2巻の一部は読んだが)、料理関係の『池波正太郎の料理帖』と近藤隆介著の『池波正太郎の食卓』はほぼ読み終わってしまったのだから、われながら食い意地が張っているとあきれている。でも池波正太郎の筆は「鬼平」よりも料理の方に一層冴えがあるのだから仕方ない。今日は仕上げなくてはならない文章があって、新開地劇場に小泉たつみさんを観に行くのも我慢してそちらにかかりっきりだから、こんな「脱線」もいいだろうと、自分を甘やかしている。

昨日は浅草「万惣」のホットケーキのことを書いたけれど、池波正太郎が絡むとまるで料理の歳時記の様相を呈する。彼が紹介する料理、その中には自分自身で調理するものもあったりするのだが、なんとおいしそうなことだろう。もちろん味自体が優れているのだろうが、それ以上にそこに滲み出ている彼自身の思い出、郷愁の思いがより一層その料理、食べ物をおいしそうにするのだ。そのほとんどが彼が子供時代からなじんできた味で、おそらくその多くが今やなくなってしまっているから、余計にありがたみがわいてくる。彼が育った地域は東京の下町で、当時の下町の食文化の豊かさが行間から立ちのぼってくる気がする。もちろんすごいごちそうなんて料理ではなく、素朴などちらかというと料理というより惣菜なのである。正太郎少年の舌は「栴檀は双葉より芳し」で、おいしいものに出くわすと店の主人に、「フーム、すげえもんだ」とか、「おじさんこれからひいきにするよ」なんていっぱしを言うのである。相手もそれを受けて、彼には特別にサービスをしたそうな。このあたり、微笑ましくて笑ってしまう。

これを読んでいて思いだしたのが向田邦子の随筆である。彼女も美食家で、自分好みのものを食べたいがため、妹に小料理屋を開かせ、自身が「黒幕」(パトロン)になったほどである。だからその筆が料理の描写のところになると、いっそう冴えわたるのは、池波と同じである。そういえば彼女も母方の両親が浅草だった。それで池波少年がいつももたされていたという「海苔弁」と向田邦子の「海苔弁」とがみごとに一致していることに気づいた。向田によればその頃の海苔は今(といってもこの場合は1980年代のことだろうが)とはまるでちがうものだったという。ぶ厚く、薫り高いものだったという。池波少年の言及している海苔もまさにそういう海苔なのだ。もう今では手に入らないめっぽう旨い海苔、そうきくだけで、江戸の名残を引きずる東京下町の豊かな食文化の薫りが立ってくるから不思議である。