yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

神坂次郎著『元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世』中公文庫、1984年刊

日記というのは『鸚鵡籠中記』(気取ったタイトル!)といって、元禄期の尾張藩の下級藩士(同心)だった朝日文左衛門重章が27年にわたって書き続けたものである。Wikiにあるように、「元禄時代の下級武士の日常の記録として非常に貴重な資料」といえるだろう。今までに日本文学史上遺った日記でまっとうに目を通したことのあるのは藤原定家の『明月記』(堀田善衛編纂・解説のもの)くらい。あといくつか断片的に読んだのもアメリカでの授業に必要だったからで、どれもそう面白くはなかった。

でもこの日記は元禄の武士の(それも江戸ではなく尾張の)日常生活を克明に記していて、定家のように公を意識したものではなく、ごく「下世話」な生活ぶりが描かれていて、その様子が行間からまざまざと見えてくる。元禄期の「浮世」たる所以がわかる史料でもある。太平の世が長く続き、武士がもはや「武士」らしくなくなってしまったさま、町人たちのおそろしく乱れた性、風俗等が当時の心中・盗難・殺人・姦通を含む数々の事件や噂話という形でリアルに描かれていて、「発禁」になっていてもおかしくないような内容である。もちろん当初から公開を前提としたものではなかったのだろう。朝日家が途絶えたため、尾張藩がひきとっていたという。こんなのが公開されたら、当時の尾張藩は大変なことになっただろう。というのも藩にとっては困るようなスキャンダルが多々描かれているから。特に藩主の母の淫行の記述は何が何でも極秘にしておかねば(といっても当時すでにあまねく知られていたそうな)ならなかったはずだから。

御三家の一つである尾張藩で徳川綱吉の「生類憐愍の令」がいかに骨抜きになっていたとうい実態も書かれていて、長く「まぼろしの書」だったそうな。書かれた時期もほぼ重なるが、イギリスのサミュエル・ピープスの日記のことを連想した。性的なことを「暗号」をつかって記載しているなんてところも共通している。

私がいちばん面白いと思ったのは、文左衛門の芝居狂いである。時間があれば芝居小屋に入り浸っていたようで、武士の姿で行くのは憚られるから、途中茶店で着替え、笠を被って行くのである。元禄といえば近松の活躍した時期、もちろん芝居も活況を呈していた。とはいえ、尾張のこと、上方、江戸とは違って芝居小屋も掛け小屋のような貧相なものだったらしい。だから御畳奉行の役得で上方へと「視察旅行」に出かけた折には、目一杯それを利用したようである。つまり畳商人たちに「接待」させた。接待には料理や女がつきものだが、彼の場合はそれに加えて芝居見物が入っていた。京都のりっぱな芝居小屋、有名役者の舞台に狂喜している彼の姿がみえるようだ。おかしかったのは、大坂の『曾根崎心中』の舞台となった地を訪れ、すっかり劇中に入り込んで落涙しているところである。なんとも「純情」な。それほどまでに芝居が好きだったんですね。というわけで、同病の私も思わずほろりとしてしまった。

文左衛門は45歳で没した。日記でもその大酒飲みぶりが披露されているが、おそらく肝臓を患ったのだろう。彼が敬愛した年上の友人、天野信景が彼の臨終に立ち会ったという。天野信景については留学するまでは名前すら知らなかった。向こうで彼の随筆『塩尻』を読まされて、その衒学ぶりに驚嘆した。思想家としては本居宣長、伴信友、そして平田篤胤にも多大な影響を与えたという。文左衛門は侍としての人生はぱっとしなかったかもしれないが、人を見抜く力があったということだろう。