yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

オペラ「ルサルカ」"RUSALKA" @プラハ国立歌劇場、3月18日

朝元気よくホテルを出たのはいいけれど、途中でめまいが始まりなかなか収まらない。仕方がないので途中のカフェで少し休んでから、ホテルに引き返した。少し仮眠をとってインターネットで夜のオペラを確認したところなんと!午後2時にも同じ演目の公演があることを発見!そういえば日曜日だったんだ。で、めまいは心配だったのだけれど、出かけてしまった。

国立オペラ劇場のある場所はこのホテルから地下鉄で2つ目の駅(ここはプラハ本駅とつながっている)から歩いて数分程度だった。駅などには英語表示があるものの、通りにはそれがほとんどなく、地図をたよりにしていてもその地図(『地球の歩き方』についているもの)が非常におおざっぱな上に曖昧で、結局通りを歩いている人に聞くことになる。年配の人はほとんど英語がダメだけれど、若い人、それも大学生のような人を捕まえて聞くと、たいていは英語が通じて丁寧に道順を教えてくれる。この日も駅を出てから迷ってしまい、近くを歩いていた若い女性に聞いたら、親切にも近くまでついてきてくれた。

これは比較文化論になるかもしれないけれど、チェコの人はシャイな人が多い。そして他人との距離をいつも計算しているようなところがある。一歩踏み出して傷つくのを怖れているような、そういう繊細な内面の人が多いように思う。自分と似ているような気がして、親近感を感じてしまう。もう一ついいことはこの国の若い人は美形が多い。女性もとてもきれいだけれど、男性は背が高く、そしてほれぼれするような容姿の人が多いように思う。地下鉄で座っていると、けっこう目の保養になる。東洋人は珍しいのか向こうもこちらをじーっとみていたりして、ドキッとしてしまう。そんなの、大阪の地下鉄ではありえないですものね。こういうのも「旅の醍醐味」(?)といえるかも。

閑話休題。この日の演目、今までに聞いたこともないものだったので、あらかじめネットで下調べしていった。なんと『オンディーヌ』なんだそうな!オペラの作者はチェコの誇る音楽家、ドボルザークである。Youtubeに一昨年の上演シーンが載っていたので貼付ける。Rusalka役のプリマは違っていたけど。
森を訪ねて来た王子に心惹かれた水の精Rusalkaが父親の精の王に人間になりたいと願い出るシーン。父は動揺、反対。でも魔女に頼んで、声と引き換えに人間になることができた。人間の女性になった彼女は王子の愛を受け入れ、宮廷に入る。舞踏会では彼女の話題で持ち切りである。これらのシーンがつながれている。youtubeからいくつか映像をお借りしておく。


しゃべれない彼女と王子との間に亀裂が入る。原因は他国からやってきた美しい公女だった。宮廷で恥をかかされ、嘆くRusalka。

人間になる際、魔女はもし王子が彼女の愛を裏切ることがあれば、王子の命がなくなることを告げていた。王子の愛を失ったRusalkaは森に失意の内に帰るが、そのあとを王子が追ってくる。王子は彼女に謝り、死を受け入れる。嘆き悲しむRusalka。

チケットは当日券だったので、ブースになった2階バルコニーの、しかも2列目だった。これで日本円に直してたったの1000円なのだから、信じがたい特典ですね、本場で観ると。ブース一つに4人入ることになっていて、前列が3席、後ろが1席で、この後ろ席だった。前列は老夫婦と2人の4歳、6歳のお孫さんたちだった。親切な方たちだった。夫の方は英語を話され、英語で少し会話もできた。ステージの上に英語字幕も出るのだが、それが不十分だとおっしゃっていた。映画字幕もそうだけれど、十分に意味を伝えるのはあまりにも短いのは仕方ないかもしれない。それでもあらかたの内容は分かった。この日、圧倒的に子供の観客が多かったのだが、おとぎ話のような感じもする(アンデルセンの『人魚姫』を思い出した)内容なので、当然かもしれない。小さいこどもたちが正装してこの劇場に溢れている図というのも、ヨーロッパならではの光景だろう。また、とても行儀がよかった。日本ではこうは行かないだろう。それにしても子供のころから本物の芸術に触れさせるという文化、それを家族のみならず、大げさにいえば国家をあげて推進しているという懐の深さに、彼我の違いを思ってしまう。それもなにか大仰に「やります!」といったものではなく、すでに生活の一部に組み込まれているところに、文化の厚みを感じる。

国立オペラ劇場の外観と内部の写真を以下に載せる。
正面からみた劇場。前は交通量の多い道路になっていて、少し興ざめ。

サイドから見た劇場

少し暗いけど、内部。