yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『研辰の討たれ』松竹花形歌舞伎@松竹座2月3日夜の部

染五郎、愛之助、そして獅童という今の歌舞伎界でもっとも生きのよい三人が出ずっぱりと聞けば、観ないわけにゆかないと思って、チケットはずいぶん前に取っておいた。この三人に亀治郎を加えれば、最もシュンな役者がそろう。今回は博多で澤瀉屋一門での歌舞伎公演(2月6日ー26日)の亀治郎の出演はないけれど。従来の旧態依然とした歌舞伎にいささか食傷気味だったので、歌舞伎とはしばらくご無沙汰だった。でも一昨年あたりからときどき観るようになってみて、かなりの変化が、というより新しい胎動が起きていることを知った。俄然面白くなってきたんですよね、歌舞伎が。それも代々続いている家の中からというより、どちらかというと本流からはずれた傍流からとか、あるいは新興勢力の中から、注目すべき役者が出てきていることを知った。今度の花形歌舞伎はそういった役者を「抜擢」し、光を当てる趣がある。高麗屋の跡継ぎである染五郎のみが例外といったところか。

染五郎はまだ彼が十代の頃に観たきりで、縁がなかったのだが、去年NHKのeテレの「芸能花舞台」のスタジオ歌舞伎での『細川の血達磨』に衝撃を受けた。ブログ記事にもした。そのもとが歌舞伎『蔦模様血染御書』として2006年10月に松竹座に乗ったことを知って、臍を噬んだ。丁度アメリカでの1年のサバティカルに入ったところだったとはいえ、内容を知れば一時帰国したのにと残念だった。

今回の「花形歌舞伎」は中々意欲的である。まず従来のような歌舞伎の演目構成を排し、昼夜ともにそれぞれ違った趣向の芝居が2本づつという構成である。この昼夜で4本の芝居すべてに染五郎、愛之助、そして獅童の三人が登場する。以下が今回の公演のチラシで、左から『慶安の狼』を演じた獅童、『大當り伏見の富くじ』の染五郎、そして「すし屋」の愛之助である。写真は公式サイトからお借りした。

この日観たのは夜の部で、『義経千本桜』からの「すし屋」、そしてこの『研辰の討たれ』だった。「すし屋」はこれは何度も観たことがあるが、それらと演出法がそう変わったようには思えなかった。今まで観た中で記憶に残っているのは菊五郎の権太である。今回は愛之助が演じたけれど、愛嬌という点、つまり悪党なのにどこか愛嬌があるというところが後の「もどり」を納得させるのに重要な要素なのだが、その点では菊五郎の方が勝っていたように思う。愛之助は5年前の浅草公会堂での「花形歌舞伎」で権太を演じたことがあり初めてではなかったようだけれど、やはりこういう複雑な役どころは菊五郎のような老練さが必要なのだろう。

「すし屋」がいわば手あかのついた演目なのに対し、『研辰の討たれ』は初演が大正14年(1925年)にもかかわらず今まであまり歌舞伎舞台に乗らなかったのを勘九郎(現勘三郎)が野田秀樹に演出を依頼、その野田版が歌舞伎座に2001年に乗っている。シネマ歌舞伎にもなっているようだが、私は観ていない。歌舞伎は普通は座頭が演出も手がけるのだけれど、今回、番附けに「演出」として演出家の名前が上がっていないので、染五郎演出と考えていいのだろうか。それも野田/勘九郎のを参考にしたのだろうか。

以下が染五郎が思いっきり弾けて写っていて、観るだけで楽しくなる『研辰の討たれ』の公演チラシである。


番附けの解説にもあるように、重点は主人公守山辰次(研辰)の近代的人物造型に置かれている。ただ、仇討ちという前近代的な「慣習」を俎上にあげ、その意味を問い直すという点が今ひとつ曖昧だった。それは人物造型にもいえる。染五郎の熱演は認めるけれど、辰次が単なるおべっか遣いの追従野郎だったのか、それとももっと狡猾で計算高い人物だったのかが、はっきりしなかった。計算高くはあっても、どこか間抜けた、お人好しの部分があり、それゆえに粟津城主奥方にも気に入られていたのではないだろうか。喜劇調の芝居なので、思いっきり派手に「追従」部分を強調していたのだが(そしてそれがつぎつぎとボロになって出てくる可笑しみはあるのだが)、そうすると計算する狡猾さを併せ持っているという近代的人物造型が際立たなくなってしまう。この狭間の部分におそらく辰次がいるのだろうけれど、それを見せるのはよほどの技量が要るだろう(勘九郎はどうだったのだろう)。染五郎も大阪の観客の反応を観ながら演じているようだったので、千秋楽が近づくにつれてこのあたりを上手くこなして行くかもしれない。彼がどうしても大阪でこれを演りたかったのではないかと(勝手に)想像しているので、成功して欲しい。辰次の不細工でいてどこかオモロクてカワイイ、そしてセコイひととなりが大阪の観客に受け入れてもらえれば、大成功!ということになるだろうから。もう少し肩の力を抜いた方がいいかもしれない。今日(2月4日)みた昼の部の『大當り伏見の富くじ』での染五郎がすばらしかったので、研辰も成功することを期待している。

仇の辰次を討つ家老の息子たち(獅童、愛之助)の演技は非の打ちどころがなかった。こちらは「近代的人物造型」なんてことを気にしなくてもよかったからだろう。特に最後の立ち回りは「おつかれさま」と言いたくなるほどの八面六臂の活躍で、客席に降りてまで辰次を追いかけ回すという趣向は大衆演劇を思わせた。観客との距離をできるだけ近くするという工夫のひとつで、こういうところのセンス、獅童は抜群である。染五郎も愛之助もそれに乗って「いちびりまくって」いたのがおかしかったし、とても楽しかった!スラプスティックスそのものだったが、最後に辰次を斬るところにやっぱり現代劇の部分を垣間見せたのは秀逸だった。

もうひとつ秀逸だったのが廻り舞台の使い方。とくに立ち回り部分では何回も使われたが、これが今までみた歌舞伎のどれよりもスゴかった。感服!こういう演出を考えるのはヤッパリ若い人だと思う。

若い人といえば、他の出演陣は歌舞伎界の若手、それも主流ではない人たちで、私など初めて見る人ばかりだった。それがとても新鮮だし、主演の三人とのぶつかり合いから生み出される化学反応も見応えがあった。この人たちが将来の歌舞伎を背負って立つだろうことを予感した。