yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ボリショイバレエ公演(『ライモンダ』)のチケットがとれた!

バレエのブログ記事から、ダンス・バレエチケット専門の掲示板があることを知り、そこでびわ湖ホールでの1月28日の切符をみつけた。掲示を出されていた方に連絡し、送っていただいた。3000円の席を2500円で譲っていただいたのだけれど、4階とはいえ、とても良い席だった。オペラグラスを持って行けば問題ないと思う。この価格はありえない価格である。西宮のホールだと4階席でもかなりの価格だし、第一良い席はすべて完売だったのだもの。

これで3月にプラハに行った帰りにロシアに寄るという案は没にすることにした。ロシアは近いから、日本から直接行く方がいいだろう。それもバレエ鑑賞の目的のみで。

だしものは『ライモンダ』。Wikiでは以下のようになっていた。

ライモンダ (露: Раймонда, Raymonda) は、マリウス・プティパ振付による全3幕4場のバレエ作品。アレクサンドル・グラズノフ作曲(作品57)。
1898年、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で初演された。第三幕で演じられる「グラン・パ・クラシック」(「ライモンダのパ・ド・ドゥ」とも)が有名であり、しばしば独立して上演されている。

内容は悲劇というより、ライモンダという美しい貴族の娘をめぐるその許嫁のジャンとサラセン王子のアブデラフマンとの恋の鞘当てといったもののようである。ジャンが十字軍(!)で出征したあと、不吉な夢をみるライモンダ。そのライモンダにサラセン王子が求婚する。でも喜ばしいことにジャンは無事帰国。サラセン王子とジャンはライモンダとの結婚を賭けて決闘するがジャンが勝ち、ライモンダとジャンは結婚する。

作者のプティパは19世紀末のフランス人だから、この帰結は予測はできるとはいえ、これを今上演するとなると、かなりの抵抗があるのではないかと心配してしまう。もちろん日本でということではなく、欧米では、さらには中東では、強いブーイングの嵐が起きるのではないだろうか。上演記録をみると、1990年以降では「フィンランド国立バレエ団によるもの(2004年)、および改訂版のアメリカン・バレエ・シアター(2004年)とオランダ国立バレエ団によるもの(2005年)など」となっている。

1978年のサイードの『オリエンタリズム』の発表以来、西洋が東洋(サイードはこれに中東をも含めた)をみるときの差別的な歪んだ見方が俎上にあげられ、批判されるようになった。もちろんそれまでにも、西洋では是とされてきた十字軍の再評価はなされていて、それが「聖地奪還」という大義名分のもとに行われた西洋キリスト教世界による異端者イスラム圏への侵略、植民地主義の帰結だったというのが現代の評価になってはいたのだが。

そこにサイードの『オリエンタリズム』出版があった。現代でも依然として支配的な西洋による東洋の蔑視の実態が「オリエンタリズム」というタームとなって、再び注目を浴びたし、洗い直されることとなった。だから、「サラセン王子」がフランス人貴族と美しい女性(これは十字軍遠征の口実として使われた「聖地」のシンボルと考えられる)をめぐって対決、フランス人が勝利するなんていうのは、あまりにもできすぎた構図なのだ。

私がペンシルバニア大で院生をしていた(たしか)2001年、サイードが講演をしにきたけれど(その1年後に亡くなった)、ものすごい人気で席をとるのに苦労した。アカデミアにでだけではなく、ひろく文化一般に影響力のある人で、『オリエンタリズム』は文字通り文化地図を塗り替えた画期的な書物だった。その影響力が全盛だったのが1980年代終わりから1990年代にかけてで、「ポストコロニアニズム」という文藝批評を生み出した。

「ポストコロニアニズム」は文学のみにとどまらず、ひろく文化全般に及んだから、バレエ界でもあからさまに植民地主義を標榜するような作品は、上演をためらったのではないか。あるいはそのままでは上演しにくくなったのではないだろうか。

そのあたりも含めて、ロシアの、そして西欧界の最高峰のバレエ団がこの主題をどう「料理」するのかにも、興味がつきない。