yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『修善寺物語』in 壽初春大歌舞伎@松竹座1月8日

『修繕寺物語』は岡本綺堂原作の新歌舞伎である。せりふも現代劇に近い。ちょうど映画の時代劇をみている(聴いている)感じである。岡本綺堂といえばテレビの『半七捕物帳』の原作者(原案者)として有名だが、私が読んだことのあるのは、明治の名優たちの劇評を集めた『ランプの下にて』で、これはめっぽう面白かった。読んだのがずいぶん前なので、内容はうろ覚えなのだけれど、その歯に衣着せない批評と、文章の江戸っ子調切れ味のよさが印象に残った。これで歌舞伎のことをずいぶんと勉強させてもらったし、江戸から続いている「歌舞伎評」の伝統を知ることもできた。時間がある時にもう一度読み返したい。ネット検索していたら、「綺堂事物」なるサイトに行き当たった。「国際人」としての綺堂が分って面白い。

で、この『修繕寺物語』(明治44年初演)だが、歌舞伎の演目としても現代劇の演目としても中途半端な観が否めなかった。芝居としてみたのが初めてなので、それがもとの脚本のせいなのか、それとも昨日の演者のせいなのかは分らないのだけれど。

筋は三島由起夫の『地獄変』を思わせるもので、伊豆修繕寺の面打ち、夜叉王の芸術家としての修羅の部分を描いたもの(だと思う)。夜叉王の娘、桂は源頼家の側女となったのだが、その娘が父の打った頼家に似せた面をつけて戻ってくる。頼家が北条一族に襲われたので、身替わりになろうと面をつけていたのだ。その面はもとは頼家が夜叉王に製作を頼んだものだったのだけれど、夜叉王は死相が出ているとして、頼家に渡すのを拒んだものだった。昨日の芝居ではこの「拒む」ところに重点が置かれていて、それが逆に夜叉王の芸術家としてのすごさを表していたという点が強調されていた。だから、死んで行く桂の顔をみながら、父としての悲嘆を超えて、芸術家としての夜叉王がその断末魔の顔を写生するという最後の場面が弱くなっていた。ここの意味がもう一つはっきりとは浮き上がってこなかった。三島の『地獄変』はその辺りがまったく違っている。燃え盛る火の中での娘の断末魔のさまを写しとり、それを作品にしてしまわざるを得ない芸術家の業を描くところに主眼が置かれている。現代劇批評の観点からすれば、綺堂作品がもの足らないのは仕方ないのかもしれない。

夜叉王を我當、桂を扇雀、楓を吉弥、そして頼家を海老蔵という配役だった。初演時は夜叉王が左團次、桂を寿海、楓を松蔦、そして頼家を十五世羽左衛門が演じたという。今回は海老蔵がもうけ役をしたというところだろうか(それにしても十五世羽左衛門をみてみたかった)。

そして今回の演者たちである。さきほども書いたように最後の場面が前半に比べるともの足らないのだが、これはもとの脚本のせいなのだろう。でもそこを夜叉王はもう少し頑張って現代の観客の眼にも添うよう、力を入れて欲しかった。どこか頼りなげにみえてしまった。こういうすごみのある役には向いていないのかもしれない。海老蔵はなんどもいうがもうけ役。でも今回は力まずそつなく演じていた。扇雀、吉弥も二人の姉妹の性格の違いを無理なく出していた。

「吃又」と『修善寺物語』を合わせるというのは、とても面白い趣向だと思う。でも「吃又」では際立っていた上方役者のニンが、この演目では逆に後ろに翳んでしまっていた。この演目はやはり江戸前のもので、役者もそれに合わせた方が良いのかもしれない。それと役者の年齢も大きく関係しているように思う。夜叉王といえども、またその娘たち、娘婿にせよ、若いエネルギーのある役者が演じた方がより説得力があるのではないだろうか。その意味では時としては浮いてしまうことが多い海老蔵の若さがとても新鮮だったし、役のニンにもあっていた。