yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

安永徹&市野あゆみwith PACチェンバー・オーケストラ@兵庫芸術文化センター、神戸女学院ホール 12月24日

ベルリンフィルのコンマスだった安永徹さんと芸術文化センター専属のオーケストラとの競演だった。

内容は以下のようになっていた。

1.トゥリーナ:ピアノとヴァイオリン、チェロのための幻想曲「シルクーロ」
安永徹(ヴァイオリン)、市野あゆみ(ピアノ)、奥田なな子(チェロ)

私にとっては初めての曲で、フォン・トゥリーナ(1888—1949)という作曲家も初耳だった。名前からスペイン人だとは分ったのだが、曲を聴いておどろいた。それらしくなかったから。でも会場でいただいたチラシの中に演奏曲の紹介があり、それを読んで、納得した。およそフラメンコ的な音楽とは違っていたのだが、それもそのはず、トゥリーナはパリに留学、フォーレやドビュッシーらと交流があったそうである。土臭いというより、洗練された軽やかさが満ちていた。

『シルクーロ』とは円環、循環のことで、「曙」(アンダンティーノ)、「真昼」(アレグレット・クアジ・アンダンティーノ)、「黄昏」(アレグロ・ヴィヴァーチェ)という三部からなっていて、文字通り一日の循環を表しているわけである。第三楽章の終わりも一日の終わりの静けさへと収束するような構成となっていた。ひとことでいうなら、フォーレを思わせるおしゃれな、モダンな曲だった。

2.ブリッジ:ピアノ五重奏曲 ニ短調
安永徹(ヴァイオリン)、市野あゆみ(ピアノ)、リム・ホンキュン(ヴァイオリン)、セルゲイ・タラシャンスキー(ヴィオラ)、奥田なな子(チェロ)

フランク・ブリッジ(1879—1941)もまったく知らない作曲家だった。イギリス人で、この人もトゥリーナと同じく、世紀末のパリの音楽に影響を受けたという。聴いてみるとトゥリーナと非常に似た感じがした。違いはもっと激しい、情熱的なところがあったこと、もっと重い感じがしたことだった。解説のところではイギリスの画家のターナー、コンスタブルと共通する資質だとあったけれど、もっと熱っぽかった。聴き手を引きずり込むという強い意志を感じた。チャンスがあれば別の曲でも聴いてみたい。安永さんは特にお気に入りのようだったし。

安永さんをはじめ演奏者は全員すばらしかったが、私の印象に強く残ったのはヴィオラのタラシャンスキーさんだった。控えめでいて、自己主張はしっかりされていた。PACの中心メンバーの一人である。

3.エルガー:夜の歌 op.15-1、朝の歌 op.15-2 
安永徹(ヴァイオリン)、市野あゆみ(ピアノ)

あまりにも有名な曲。これはどうもお二人の十八番のようである。濃い目(?)の曲が二つ続いたので、ちょっとした息抜きのようなものだったのかもしれない。

<インターミッション>

4.ハイドン:交響曲第88番 ト短調
予定では「ハイドン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲」だったのが急遽変更となったもの。

ハイドンの交響曲は他のものが有名だろう。だからこの曲を聴くのは初めてで、初めてづくしである。ハイドンを聴くと音楽の古典中の古典を聴いた気がする。シンプル、親しみやすく、どこか懐かしいようなそんな旋律である。とはいっても、聴いたのがごく限られているから、間違っているかもしれない。

この交響曲はハイドンがシンプルだという私の勝手な思い込みを覆してくれた。重厚で、それでいてやっぱり親しみやすいという曲ではあった。これも私の勝手な希望だが、できれば古楽器系で演奏して欲しかった。かなりちがった印象になったと思う。PACのいつものメンバーでの演奏だとかなりモダン化されているような観があったから。

安永さんご自身がコンマスと指揮者を兼ねられた。これは非常によかった。ハイドンの頃の雰囲気が出ていたと思う。大仰さを排し、それでいてきちんと矩は外さずに「古典派」の模範を示して下さった。

5.アンコール曲、レーガー:抒情的アンダンテ「愛の夢」
とてもきれいで、この若い楽団にぴったりだった。これを選んだ安永さんのこの楽団への愛を感じた。

「神戸女学院ホール」は以前にも一度来たのだが、鉢構造になっていて、客席がステージという中心部に向かい降りて行き、それを取り囲む構造である。どこにいても一定の音響効果が確保されるので、演奏者も聴衆もハピーである。私は演劇の人間なので、このステージで芝居を観てみたいと思ってしまった。シェイクスピア劇なんて、ぴったりだと思う。