yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

マイクロソフトのZuneはなぜiPodを超えられなかったか

毎度ジョブズネタで申し訳ないのだが、アイザックソンの伝記は開いたページどれもが例外なく面白く、ジョブズの哲学のみならず彼の美学、そしてかれの音楽への並々ならないの思い入れとこだわりが、まるでジョブズが傍にいるかのように手に取るように分かる。これだけ読みごたえのある伝記はこれからもそう出ないと思う。小説よりも数倍おもしろい伝記に初めて出くわした。アイザックソンの筆の力に改めて敬意を表する。映画化の話もあるようだけれど、これだけの内容を映画にするのは至難の技だろう。エピソードを選ぶにしても、どれを取り、どれを捨てるかという判断はきわめて難しいに違いない。

今日通勤途上で読んだ箇所(この時間にしか読まないと決めているので)でいちばんおもしろかったのがマイクロソフトのZuneについてのくだりだった。マイクロソフトはiPodが出て以来アップルの後塵を拝していたのだが、それを打開すべくビル・ゲイツが出した解答がこの端末だった。iPod に遅れること3年、満を持して2006年に出したものの、2年後に撤退している。その失敗をジョブズはいともあっさりと次のように評している。

歳をとって分かったことは、動機の重要性なんだ。Zune の失敗はマイクロソフトの連中が音楽、芸術をわれわれほどには愛していなかったからだよ。われわれは心から音楽が好きなのでiPod を自分のため、自分の友達、家族のために作りだした。彼らが快適に使えるようにと。だからどれだけ時間をそれに費やしても気にならなかったのだ。

もう一つ興味深かったエピソードはアイザックソンがジョブズに「火事になって、ビートルズとローリングストーンズ、どちらか一本だけマスターテープを持ち出せるとしたら、どちらを選ぶ?」と問いかけたら、ジョブズがビートルズと答えたというものだった。ジョブズにとってはビートルズ、特にジョン・レノンは特別な存在だったようだ。ジョブズにとってもう一人の特別な存在といえば、ボブ・ディランで、彼とのiPod への音楽提供の交渉と広告についても詳細に描かれている。

また、アイザックソンとジョブズはほぼ同年輩(アイザックソンが2歳上)で、青春時代を同時期に送ったということで、音楽の好みが似通っている。だからアイザクソンの質問もどこか熱を帯びていた。二人はジョニ・ミッチェルの“Little Green" という娘を養女に出した母親の心境を歌った歌に一緒に耳を傾けた。ジョブズが養子であったことを思い合わせると、ジョブズの心の内が窺えるような気がする。ジョブズはそれについて(自身が養子に出されたこと)はもうあまり考えなくなったとアイザックソンに言ってはいるけれど、やっぱりずっとトラウマでだったと分かる下りである。このあと二人でジョニ・ミッチェルの“Both Sides Now" (青春の光と影)を聴いて若かりし頃を偲んでいる。

もう一つ「えっ?」と思ったのが、ジョブズがグレン・グールドの『バッハ:ゴルトベルク変奏曲』の1955年盤1981年盤とを比べて、以前は旧い方が良いと思っていたが、今は1981年版の方が良いと言明している下りだった。私もグールドが大好きで彼の『ゴールドベルグ変奏曲』は両方もっているけれど、やっぱり55年盤の方がずっと好きである。ペン大での友人でグールドオタクのCもこちらの方が良いと言っていたっけ。Youtube でも聴けるので上にリンクしておいた。

ジョニ・ミッチェルも“Both Sides Now" を後年再度録音しているとのことで、「歳をとると表現の仕方は変わるもので、それも面白い」とジョブズはコメントしたという。
Youtubeにアップロードしてあった若かりし頃のジョニの“Both Sides Now" と、2000年の“Both Sides Now"

こちらもYoutube にアップされていた Judi Collins の“Both Sides Now" をリンクしておいた。