昨日、今日と保護者懇談会で朝から勤務先につめている。去年より懇談会の回数が増えて、夏休みの間にも何回か開催されるようになった。というわけで、朝もばたばたしていて、この番組の前半部を見損ねてしまった。
『鳥辺山心中』からみたのだが、さすが中村歌右衛門、なんという色気!白黒画面なのに、彼(彼女)が首を傾げ、身体を傾けるだけで品のよい、でもなんともいえない色っぽさが立ちのぼる。ここまでできる人は今の若い女形にはいないだろう。私自身、彼をみたのが最晩年の『桐一葉』*1で、その頃には足がかなり悪く、役柄も淀君ということで歌右衛門の真の魅力が分からずじまいだった。三島由紀夫が褒めるんだから、並外れた役者とは頭で理解はしていたのだけれど。
『番町皿屋敷』は青山播磨を中村梅玉、お菊を中村魁春という配役だった。これも見ごたえがあった。「岡本綺堂特集」と銘打った企画で、梅玉がこういう新歌舞伎の範疇にぴたりとはまる人だったのに驚いた。たしかにこの人の容貌は昔の歌舞伎役者の風貌とはかなり違っていて、ずっと現代的である。体躯も養父の歌右衛門に比べるとずっと顔も小さく足も長くて4頭身ということはない。
容姿だけではなく、青山播磨の心理に踏み込んでの解釈も理にかなったものだった。1枚目の皿から4枚目の皿を割るまでの彼の心理の変化をインタビューのときに説明したのだが、それがいかにも現代劇の役者がする解釈だった。それを彼は「工夫」と歌舞伎の用語で説明した。以前に彼の青山播磨をみたことのある視聴者は、「そういうことだったのか」と彼の「演技」が腑に落ちたに違いない。
梅玉の舞台は結構見たことがあるのだが、もっとも印象に残っているのが『曾根崎心中』の徳兵衛役だった。相手はもちろん当時中村鴈治郎だった現坂田藤十郎。藤十郎のお初はそのままで相手がいろいろと代わったけれど、梅玉のものが一番よかった。優男で高めの声というのが、私の徳兵衛のイメージに近かったからである。でもそれだけでないのが今日分かった。彼の役解釈が役の性根に深く踏み込んだもので、緻密な計算の上に演じられていたからだったのだ。
もちろん父の歌右衛門も役の性根に入るのはきちんとした手順を踏み、解釈をした上でのことだったからで、それを引き継いでいるのに違いない。歌右衛門の役の斬新な解釈は渡辺保さんの
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『曾根崎心中』自体もそれまで断絶していたこの狂言を新解釈で舞台に乗せたものだから、ある意味新歌舞伎といえるかもしれない。つまり昔ながらの型よりも大胆な新解釈の上に成立していた。だから梅玉の徳兵衛が生き生きと私の記憶に残ったのだと思う。
梅玉に比べると「妹」の中村中村魁春は歌舞伎本来の型をきちんと守っての演技で、どちらかというと旧いタイプの役者だと思った。といっても二人の息はぴたりと合っていて(さすが兄弟)、お菊の皿を数える時の哀れさが、そこに漂う悲愴感が胸を打った。