yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

夏休み文楽特別公演『絵本太功記』@国立文楽劇場8月2日

前期の成績提出は昨日が期限だったのを延ばしてもらって、今日やっと仕上げた。午後2時から始まる文楽公演『絵本太功記』になんとか間に合った。4時間近い長丁場で、体力が元通りに回復していない身には少々こたえた。それに咳がなかなかとまらず、咳止めをのんだので途中で眠くなって困った。今日のこの第2部はちらほらと空席があり、4月よりも観客が少ないように思った。それに外国人の学生の姿が目立った。今までで一番多かったように思う。お行儀もとてもよかった。観客層は60代、70代とおぼしき男女が7割、女性の20代、30代、40代が残りの3割といったところか。明後日4日に第3部の『心中宵庚申』のチケットをとったが、まだ空席がけっこうあったためいつもの席(前から3列目の最上手、床のすぐ前)がとれた。

ラッキーなことに昨日休演だった源大夫さんが今日は「尼ヶ崎の段」の切を語られた。まだあまりお元気そうとはいい難かったけれど、なんとか持ちこたえられた。

Wikiによると1797年から5年間「編を重ねて最終的には5年間で7編84冊を刊行した読本の『絵本太閤記』」に便乗して書かれた浄瑠璃だそうである。*1 近松柳・近松湖水軒・近松千葉軒 の合作で人形浄瑠璃の初演は、寛政11年7月(1799年8月)大坂豊竹座で、そのすぐあとで歌舞伎にもなった。そういえば以前に「尼ヶ崎の段」を観た記憶がある。でも誰が演じたのかを思い出せない。

読本の『絵本太閤記』が豊臣秀吉を主人公にするのに対して、人形浄瑠璃の『絵本太功記』の主人公は明智光秀である。それも読本がもとになっている芝居らしく、ほとんどがフィクションとして書かれていて、史実をあてはめようとするとうっちゃりをかけられる。はじめから完全にフィクションとしてみるべきなのだろう。そういうところNHKの大河ドラマを思わせる。

「読本」が種本になっているという名残はここかしこに確認できる。とくに「尼ヶ崎の段」での初菊と十次郎、光秀の母さつきと妻操との、そして操と光秀とのやりとり、とくに口説きの部分はきわめて文学的である。まさに上田秋成を思わせる。と同時になんといっても近松の世話物がかぶってしまう。作者たちも(名前も近松を名乗るくらいだから)そのあたりを強く意識していたに違いない。

人形浄瑠璃、歌舞伎につきものの「ドンデン返し」もみられる。光秀が竹槍で湯殿にいる真柴久吉(秀吉)を突くのだが、突いた相手は母さつきだった。さつきが機転を効かせすり替わっていたのだ。

今日一番印象的だったのは、この芝居の基本構造が男の理(義、忠)の世界と女の情(子への思い、夫への思い)の世界という二つの世界の対立図式として示されたことだった。とくに「尼ヶ崎の段」では光秀は女たちの口説きを超える「理」を打ち出せないままである。完全に女側の『勝利」に終わっている。とはいえ、男たち(光秀、久吉)はかっこうをつけてふたたび一騎打ちをすることを誓い合う。女たちの強力な同盟の前ではそういう誓いも「軽い」ものにみえてしまう。作者が女性だったのではないかと思うほど、このあたりの男対女の対立図は一方に大きく傾いている。

光秀をつかった吉田玉女さん、師匠の玉男さんによく似てこられた。とくに豪快ななかにも陰影のある光秀の動きをうまく表現されていた。操の人形を遣われた吉田和生さんも夫と姑、そして息子を思う気持ちを繊細に表現されていた。

そして!源大夫さん、体力への挑戦をされているのがよく分かった。三味線のご子息藤蔵さんのサポートもきいて、感動的な語りを聞かせてくれた。