『東洋経済』の7月2日号、「グローバルエリートを育成せよ」
- 作者: 東洋経済新聞社
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2011/06/27
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でもアジアの近隣国に目を向けると、今や中国は米国の大学への留学者数では一位になった。韓国は以前から大量の学生を送り込んでいるので、この2強と比べると日本の「劣勢」が目立つ。
タイトルの記事には「世界最高の教育を求め、欧米の一流大学に群がる世界の若者。国力アップのために、世界レベルのエリート育成に励む国家。”世界教育戦争”が始まった」というキャプションが付いている。世界大学ランキングが披露されているが、上位30校のうち実に2/3が米国の大学である。ちなみに東大は26位、京大が57位である。アメリカの大学が絶大なる強さを誇っていて、これはこれからも変わらないだろう。なぜか。グローバルで活躍する人材を作る教育、それに加えて人的ネットワーク、この二つを同時に手にするには米国一流大学へ進学するのが最も近道だからである。
実際にアメリカの大学で学んだ経験がないとこれはあまりぴんとこないかもしれない。しかし、東大の26位というのさえ、怪しいと思うくらいアメリカのトップ校のレベルは高い。教育の質の高さ、おそらく世界ではアメリカを凌ぐところはないと思う。アサインメントに次ぐアサインメント、クラスでのディスカッション等、猛烈としかいいようのない教育を受ける。実際アメリカの大学、大学院では「遊ぶ」なんてことは、休暇中を除いて、無縁である。いつもリーディングアサインメントにテスト、ペーパーに追いまくられて学期が終わる。ほとんど1日中図書館にいて本を探しているか、コンピュータの画面を睨んでいる。
授業でもおよそ「唯我独尊」は赦されない。とにかく人を説得し、納得させなければならない。なんとなく雰囲気で互いに「わかりあえる」日本の感覚を持ち込むことも不可能である。それを通そうとするとたんなるバカの烙印を押されてしまう。説得できないのは知力と知識がないとみなされるからである。また人間的にも未熟だとみなされてしまうだろう。だから否応なく「他者」と真剣に対峙する姿勢が生まれるし、知識も身につけ知力も磨く。これを4年間つづければ、「黙ってても分かる」といったおよそ日本的風土からはほど遠い人間になることは間違いない。
こういう他者をあくまでも他者として見据え、他者との関係を客観的におしはかる態度はそのまま世の中に出た時に威力を発揮する。ビジネスの世界では特にそうだろう。これは他者に対するある種の「謙虚さ」といえるかもしれない。「そもそも他者とは分かり合えない」という前提から始まっているので、分かってもらうために、さまざまな工夫を凝らすし、知恵も働かせる。
グローバル社会というのはまさに(分かり合えない)他者と向き合う社会である。だからその他者と格闘した経験がない限り、アジャストするのがかなり大変である。それだけで消耗してしまうだろう。日本人がグローバル社会の一員になるとき、この点が最もネックになるだろう。だから、若いときに他者との試合をせざるをえない環境ーー例えばアメリカの大学ーーに身を置き、その中で血のにじむような経験をしながら学ぶしかない。身につけるしかない.。