yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

七月大歌舞伎@大阪松竹座『播州皿屋敷』7月23日昼 

皿屋敷ものでは『番町皿屋敷』の方がよく知られているだろうが、こちらの『播州』の方が17年ばかり古い。もともと「皿屋敷伝説」なるものが存在していて、歌舞伎としては1720年の上演記録が残っているという(本公演の番付より)。この『播州』版は為永太郎兵衛、浅田一鳥との合作で、人形浄瑠璃として大阪の豊竹座で1741年の初演である。近松の最晩年の人形浄瑠璃『心中天網島』の初演が1720年、『女殺油地獄』が1721年で、大阪では当時人形浄瑠璃の上演がずっと続いていたことが分かる。今回の大阪での「大歌舞伎」は、そういう上方の伝統を強く意識した番組になっている。なにしろ「関西・歌舞伎を愛する会」の主催だから。この狂言が昼の部のトップに来ているのは、そういう心意気の現れだろう。とはいうものの、昼の部のしめは『江戸唄情節』で、東西のバランスがとれてはいる。ちなみに夜に部の演目にも同様のバランスがみられる。

人形浄瑠璃を歌舞伎に仕立て直したものなので、三味線に合わせた太夫の浄瑠璃語りがバックになっている。このような義太夫演奏が入るものを丸本歌舞伎というが、歌舞伎狂言中では格調が高いとされていて、そのため古風なおもむきとなる。役者の台詞もまた動きも「糸に乗る」ようにしなくてはならず、これがなかなか難しいのだとか。今はもう亡くなられたが中村富十郎さん(天王寺屋)や現坂田藤十郎さん(三代目中村鴈治郎さん)、そして現片岡仁左衛門さん、お兄様の片岡秀太郎さん(松嶋屋)などの上方の役者が自家薬籠中のものにしていた(いる)。台詞も人形浄瑠璃から移しているので上方弁で、そういうこともあって上方役者が得意としているのかもしれない。

細川家家老浅山鉄山(悪い家老)を演じた愛之助さん、鉄山にいびり殺される腰元お菊を演じた孝太郎さん、ともに関西出身で、義太夫の糸にのせた台詞回しに無理がなかった。この無理がないというのがとても大事である。役の性根にしっかりと入り込むには、台詞をどう語るかが非常に重要になる。義太夫の上方の抑揚がそのまま役柄の性根をあらわすからである。

そのデンで行くと、愛之助さんの悪家老はリアルにその悪ぶりが際立たされていた。つまりその抑揚のつけ方が悪い性根を表し、強いインパクトでもって見る側に迫ってきた。一方お菊もしとやかな、それでいて凛とした女性像が、その口調の中にありありと顕れていた。孝太郎さんの外見はずっと前にみた時よりも年齢を重ねたのが分かったが、台詞をきく限り若い女性そのものだった。

この二人の絡みでは二つの見せ場がある。一つはお菊が皿を数えるところ、もう一つは鉄山が菊をなぶり殺しにする場面である。皿を数える場面ではあくまでも「受け身」、つまり一方的に虐められていた菊が、なぶり殺される場面では、鉄山に立ち向かう女性へと「変貌」している。虐める側/虐められる側という両者の関係が逆転する可能性が暗示されている。そしてそれは最後のクライマックス、井戸から現れた菊の亡霊が鉄山とにらみあう場面へとつながって行く。二人が対峙するところで幕。下手に鉄山に制裁が下るという結末を見せずに、この二人の対峙で終わるという演出は面白かった。ふつうの「皿屋敷」の演出法とは違ったのではないだろうか。どなたの演出だったのだろう。