yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

琵琶の会:山崎旭萃一門師範会@日吉大社(比叡山坂本)7月10日

人間国宝の山崎旭萃のお弟子さんたち(みなさん師範です)の会でした。旭萃さんはすでに鬼籍に入られましたが、その一番弟子の奥村旭翠さんがあとを継がれて、お弟子さんたちを育成しておられます。プログラムでは10人のお弟子さんたちと奥村旭翠さんが演奏者でした。私は少し遅れて4番目から聴きました。山崎旭翠さんのお弟子で、今は奥村旭翠さんに師事している大学の同僚の演奏も聴くことができました。彼が琵琶を習いたいといった私の希望を受けて、奥村先生に紹介してくれたのです。京都で7月20日に初回のレッスンを受けることになりました!今からワクワク、どきどきです。Amazonで奥村先生の琵琶演奏のCDを注文したのですが、やはり実際の演奏はインパクトがありました。先生ご本人もただならないオーラがありました。こういう風格の方に学べるのは願ってもないのですが、ちょっと気後れもします。

さすがというべきか、奥村先生の演奏、「本能寺」は一頭地を抜いていました。語りの部分もそうですが、なんといっても闘いを描写する琵琶の音、すばらしかった。琵琶は地味だとおもっていた先入観を覆されました。でも決して派手というわけではないのです。バチから叩きだされる音は、じわっと臓腑に染み渡る力強さとリズミカルな軽やかさとを同時に表現するものでした。そして実に繊細!でも闘いの場面になるとそれが一挙に勇壮になるのです。その表現の豊かなこと。

今日の演奏会でもう一つ気づいたのは、琵琶が「語り」と不可分なことでした。琵琶の演奏は楽器の演奏というより、「語り」(ストーリー)に琵琶の伴奏がついたものと考える方が良いと分かりました。つまり語り手の声と琵琶の音のコラボによって紡ぎだされるのが「琵琶の曲」ということになります。日本文学における「語り」をこれからの課題にしようと考えていた矢先でしたので、琵琶と出会えたのはなにか運命的なものを感じます。琵琶と「語り」が私のこれからの人生にどう影響して行くのか、大げさにいえばそれを見届けたいと考えています。

会場になった日吉大社は遡ること『古事記』にも出てくる神社で、比叡山延暦寺とも関係が深かった。JRの比叡山坂本駅からタクシーで会場まで行ったのですが、日吉大社の境内に入ったとたんに目の前に広がる鬱蒼とした杉林に圧倒されました。ほんの一部でしかないものの、以下にその一端の写真をアップロードします。

会場への案内

同僚のギニャールさん

境内のさま