yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

モンテヴェルディ作曲 歌劇≪オルフェーオ≫ 

気分が滅入ったときに聴く音楽はだいたい決まっている。最右翼はモンテヴェルディ作曲の歌劇『オルフェーオ』なのだ。それも、エリオット・ガーディナーのイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏のものである。

この曲に出逢ったのがアメリカの大学院にいたときだった。サバイバルできるか危うんだ最初の2年間が修了し、3年目には少し余裕ができたので、必須科目以外の科目の聴講をした。単位にはならないが、専門の垣根を越えて一流の教師による授業をとることができるので、願ってもない機会だとはりきって、秋学期には音楽理論と音楽史のクラス、春学期には哲学のクラスをとった。その音楽のクラスで最初に聴いたのがこの曲だった。授業では5分程度聴いただけだったが、授業後すぐに図書館のメディアセンターに飛んで行き、借り出した。ところがアパートに帰ってCDプレーヤーで聴いてみるとどうも授業で聴いたのとは違っていた。メディアセンターにとってかえし、カタログを検索するといくつかの演奏家のものがあることが分かった。授業で聴いたのはこのガーディナー版だった。

図書館所蔵のCDなのでずっと聴き続けることはできない。そのときの私にしてみれば結構な値段のCD をダウンタウンのTower Record で手に入れたときの興奮は今でも覚えている。さすがArchiv。そしてガーディナー。他の版にはこの艶やかさがなかった。

私と同じ見解の方のブログを見つけたので、以下に紹介しておく。

ポッペアの戴冠」でモンテヴェルディの歌劇に開眼し、「オルフェオ」を入手したが、某批評家の評どおり、ヤーコプス盤(DVDも含めて)よりこのガーディナー盤の方が圧倒的に素晴らしい!何という清澄な響き!美しい声!正に天上の彼岸の音楽だ。ガーディナーは映像を残していないのだろうか?是非観てみたいものだ。

このモンテヴェルディの歌劇は、それまで聴いてきたモーツアルト、ワーグナー等のオペラとはまったく違っていた。古典派のようなきちっとした端正さを保持しているというのではなく、自由で、それでいて均整がとれているのだ。これぞバロックの粋という感じである。イタリアのどこまでも明るい空が彷彿とするような突き抜けた明るさがある。話はあまりにも有名なオルフェウスの妻エウリディーチェを探しての黄泉の国探訪なのだが、黄泉の国を思わせる暗さが不思議なほどない。

テーマ旋律は決まっていて、それが何度も繰り返し出てくるのだが、あきない。その場面場面で違ったように聞こえるから不思議である。清澄でいながら、豊かな旋律なのだ。場面の内容にあったように、聞き手には聴こえてくる。

腰椎の問題で現在療養中の同僚の哲学の先生が、モンテヴェルディについての論文を学内紀要に寄稿されたときは驚いた。まさか日本でこの曲が話題にのぼるとは想像していなかったので。彼はもちろん『オルフェーオ』のファンでもあった。二人で大いに盛り上がったものだ。

実際の演奏を聴きたいのだけれど、当分イギリスに行くことはないから、永遠に機会は来ないかもしれない。