突っ込みどころ満載なので、「なにこれ?!」と叫びつつ観た。
とにかく変な映画である。冒頭は、さまざまなマシンが回転しているという、まるで北朝鮮の広報映画と見紛うシーンから始まる。そして、着物姿の原節子が典型的純日本家屋(これもいくらなんでも!というほどウソくさい)の自宅を出て裏山を駆け下りると、そこには安芸の宮島、厳島神社が眼下に広がっている!着物姿の原節子の走り方、これがまた「?」が10個もつくほどの体育会系の股を左右に!大きく開いた走り方。初めからこの調子なので、ある種の覚悟がつくのは良い点である。ストーリーに入り込むのは不可能ということ。まあ、「お笑い映画」としてみればそれなりに楽しめる。極めつけは東京の街に「阪神電車」のネオンサインが瞬いていたこと。これこそまさに羊頭狗肉の典型と感心してしまった。
日独合作で監督はドイツの山岳映画の巨匠アーノルド・ファンク。この「御方」が日本の撮影所を見学した際にたまたまそこにいた原節子をみそめて、主人公に抜擢したそうな。だから、原節子に最近とみに傾倒している風のつれあいにとってみれば「あばたもえくぼ」(この映画についてで、原節子さんにではありません、念のため)で、16歳の彼女がスクリーン上でみれるだけで十分ということなのかもしれない。
製作は何しろ1937年ですからね。典型的な国策映画。だからその手の研究、たとえば日本の軍国化に映画が果たした役割なんていうテーマにはおもしろい題材を提供してくれる(だろう)。そういえばこの前年、1936年には2.26事件があったんだ。そういう社会背景をすかしながらみてみるとまたちがった「面白さ」があるかもしれない。
筋は面倒なので、Wikiのサイト(http://ja.wikipedia.org/wiki/新しき土)から借用する。以下である。
ドイツに留学していたエリート青年輝雄(小杉勇)は、恋人ゲルダ(ルート・エヴェラー)を引きつれ帰国する。しかし、輝雄には許婚の光子(原節子)がいた。光子や父・巌(早川雪洲)は彼を暖かく迎えるが、西洋文明に浸った輝雄は光子に愛情を向けるどころか、許婚を古い慣習として婚約を解消しようとする。そうした輝雄の姿勢をドイツ人のゲルダも非難する。絶望した光子は、火山に身を投げようとする。
ここからは補足。光子を助けた輝雄は彼女と結婚し満州に移住する。
以下もWikiからだが、「1937年3月23日に公開されたドイツでは、宣伝省の通達によりヨーゼフ・ゲッベルスとアドルフ・ヒトラーが自ら検閲して最終許可を与えたことが大々的に報じられた」ということである。ヒットラーのお墨付きの映画だったんだ。ヒットラー好みの絵画の一覧をみたことがあるけど、そういえばどこか共通点があるような気がする。その二次元的平板さと極端なコントラストで。
この映画で唯一、気になった俳優は光子の父親役の早川雪洲だった。この人が眠っている娘を凝視する場面があるが、その視線のなんともいえないイヤらしさに釘付けになってしまった。こういう風に娘を「視る」父というのは、日本文化では許容されないだろう。小津安二郎の一連の父・娘ものと比べてしまった。小津作品でも娘は奇しくも原節子が演じているのだけど。例えば『晩春』(1949)の父、笠智衆と早川雪州を比べてみれば、そこには越えられない隔絶がある。
また手法ではドイツ表現主義の手法に則り撮られているのが一目瞭然だけれど、私が今までみたことのある表現主義の映画とは画面の緊迫感が比べられないほど少ない。白黒の際立ったコントラストが視る者の不安を煽る働きをするのが表現主義の特徴のひとつだけれど、この映画ではまったくそういう不安はかき立てられない。視るものになにを提供するのかというその目的が違うのだから、仕方がないだろう。同盟国日本紹介(!)とそして、日本の「地位」をドイツ並みに引き上げることを目的としていたらしいから。
それにしても、この前年には溝口健二の『浪華悲歌』が、そして翌々年には『残菊物語』という最高傑作が日本映画界から出たことを考えると、こういうドイツ趣味につきあわされた日本側の監督、伊丹万作はさぞ腹立たしく忸怩たる思いだっただろうと同情してしまう。