今日の留学希望者用の英語クラスではComputer History Museumで去年7月行われたマーク・ザッカーバーグとFacebook Effectの著者とプロのインタビュワー三者の対談を聴いた。
いまやIT界で、全知全能かと思われた一人勝ちのGoogleをも脅かしつつあるFacebook、しかしその創始者の素顔は拍子抜けするほど若かった。若干26歳であれば、当然かもしれない。でも先週、Googleの創始者の一人、ブリン(Sergy Brin)のバークレイでの講演を聴いたばかりなので、よけいに幼く見えてしまう。Brinだってまだ30代なのだけど。
ブリンがある意味「確信犯」であるのとは対照的に、ザッカーバーグは「なりゆきでなってしまった」的な感じがする。始まり方も、「何となくそう動いてしまった、別に意図していたわけではないけど」というようなある種いい加減なものだったようだ。
彼はこのサービスを2004年に在学していたハーバード大で始めたのだが、はじめはアイビーリーグの大学の学生限定だった。私が2005年に自分の学生に加入するよう誘われたのも、アイビーの一校だったペンシルバニア大で教えていたからだった。アメリカのエリート大学の学生クラブ、フラタニティの延長ぐらいの意識しか、当初ザッカーバーグにはなかったように思う。その後、徐々に全米の学生に開放され、学生生活に欠かせないツールとなったのだけど、これは成り行きでそうなっただけで、彼のアイデアではなかったように思う。
この対談の番組でも、彼はしきりと自分は「プラットホームを提供したにすぎない」と言っている。つまり大層なシステムを構築したというわけではなく、あくまでもシステムの上に乗っかったプラットホームだと主張しているのである。
また二人の対談者が彼に浴びせかける「責任をどうとるのか」という質問には、いたってノンシャランに、まるではぐらかすかのように、真っ向からはぶつかっていない。これもブリンとは大いに違っている。
二人ともユダヤ系ではあるが、ブリンは6歳のときにアメリカに移住してきた移民であるのに対し、ザッカーバーグははじめからアメリカ人である。この点も二人の自分が「発明した」サービスへのスタンスの差が出ているのかもしれない。
学生にはこの点がもう一つ分かってもらえなかった。彼らもそれを理解するにはあまりに幼いのかもしれない。