成城石井でジェノベーゼの瓶詰めを買ったので、晩御飯はパスタにした。ちょっと油ぽかったけれど、市販のものだから仕方ないだろう。
アメリカの大学院にいたある時期、ハウスシェアをしていた。フィラデルフィアということもあり築96年という古い家で、ベッドルームが5つという大きな家だった。玄関は通りに面した2戸1というよくある造りだったけど、裏庭が広かった。そこにハウスメート4人と住んでいた。
その家で一番思い出に残っているのが、8月のバジル収穫だった。裏庭に自生しているバジルを採り、ジェノベーゼを作るのだ。収穫時期になるとボストンに移り住んでいた家主夫婦が帰ってきて、住人総動員プラスその友人も狩り出されて、バジルを採ることから始めて1日中ジェノベーゼをつくる。
まずバジルを収穫するのだけれど、暑い最中、これが大変だった。朝7時ごろから始めてお昼過ぎまでかかった。ぺちゃくちゃとおしゃべりしながらだったので、これはけっこう楽しかった。
そのあと、家主のDavid がクウィジナート製の大型フードプロセッサーを出してきて、そこに収穫したバジル、松の実、パルメザン、ナッツ、にんにく、そしてオリーブオイルをぶち込み、攪拌してジェノベーゼを作るのだ。1回にかけられる量は限られているので、それを気が遠くなるくらい繰り返す。なにしろ膨大な量のバジルが材料だから。
そのころになると、ちゃっかりとDavidの友人たちがやってきて、作業を見守る。おすそ分けが目当てである。100瓶近く作ったと思う。夜の9時過ぎまでかかった。おすそ分けしてもまだいっぱい余って、それを地下室にある大型冷凍庫に保存していた。
ハウスメートのBruce はこれが大好物で、お昼にはいつもジェノベーゼバスタを食べていた。冷蔵庫に保管していたのがなくなると、地下室の冷凍庫から補っていた。私はあまり好きではなかったけど、でもお昼を節約したいときは家に帰ってこれを食べたものだ。みんなが競って食べても、翌年の3月くらいまではストックがあった。
ジェノベーゼは苦しかったあの時期を象徴する食べ物なのだ。今それを食べたくなるというのは、苦しかった思い出を反芻するというよりも、文化ギャップをはじめとする困難に、果敢に関わろうとした自分を思い出すからかもしれない。