ここ2年間、顔見世に行っていなかったので、始まるのがこんなに早いことを忘れていました。10時半でした。
席は前から3列目花道をはさんで下手側ですので、花道で見得をきる役者の後姿しか見えませんが、舞台は良く見渡せましたし、表情も双眼鏡なしで分かりました。ついでに顔、手のシワも。
舞踊劇『羽衣』からのオープニングです。海老蔵の代わりを愛之助がつとめたのですが、やっぱりインパクトが弱めでした。彼は私の大好きな片岡秀太郎の養子ですから欲目でみたいのですが、海老蔵のあのオーラに比べれば弱々しく映ります。ただ、周りの方々は褒めちぎっておられました。確かに仁左衛門に似ているという評はあたっていると思います。花道に出たとき、一瞬仁左衛門かと思ったくらいです。天女をしたのが仁左衛門の息子、孝太郎でしたが、彼よりもずっとよく似ていました。顔だけでなく声色、体つきまで。孝太郎は最後にみたときはまだ少年ぽかったのに、今日は一気に中年になっていました。まぁ、ということは自分も歳をとっているということですよね。そこはつい都合よくわすれてしまいます。
近くで見たということもあるのでしょうが、孝太郎、動きにキレがありませんでした。以前より太られたのも原因の一つではないでしょうか。美しい天女にはどうしても見えませんでした。
『寺子屋』は予想通りのできばえでした。武部源蔵を梅玉、妻の礪波を芝雀、松王丸を吉右衛門、その妻千代をもと松江の魁春という配役ですから、良くないわけがありません。息子の小太郎が源蔵によって首を切り落とされる(これは表舞台ではなく、裏で行われるという設定です)物音を聞いた松王丸が一瞬思いいれをする場面、分かっていても胸を打たれます。そのあとの松王丸、千代が息子を送る「いろはおくり」、涙なしには見れません。魁春さん、光っていました。松江のころとあまり変わっておられません。お兄様の梅玉は、これまた一挙に中年の域も越してしまわれたようでした。
芝雀もお歳を召されて初め誰か分からず、あわてて筋書きを見ました。細やかな心理描写がいる役目を折り目正しく演じておられました。
三つ目の演目は舞踊劇、『阿国歌舞伎』でした。玉三郎演じる阿国が一座を率いてやってきた桜花満開の京都の町、そこで彼女たちが念仏踊りを踊っていると、死んだはずの名古屋山三(仁左衛門)が在りし日の姿でたち現れてきます。阿国は山三の頼みに応えて踊りを踊ります。しかし、彼が消えると阿国はしみじみと昔を懐かしみ、無常観に浸ります。
玉三郎、近くで拝見してもやっぱり美しかったです。他の人たちがお歳を取られたのに対し、彼だけが昔のままのすっきりとした美しい姿で立っているのは、感動的です。
最後の演目の『沼津』は歌舞伎歴10年を越す私でも初見でした。片岡三兄弟を中心にした配役でしたし、それも大成功でしたので、また機会があれば感想、評価をかくつもりです。
愛之助が海老蔵さんの代役をしたのは『外郎売』だったので、比較するのはフェアではないというコメントをいただきました。この部分訂正いたします。