yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「葵の上」

今朝、朝食をとりながらNHK教育をみていたら、ちょうど能の「葵上」をやっていた。金春安明さんのシテ舞が見られたのはもうけものだった。金春が四座の中で格上とみる人がいる理由が分かったような気がした。溜めに満ちた仕舞だった。

「葵上」というけれど、源氏の正妻、葵の上は能の劇中には登場しない。ただ舞台正面に置かれた小袖が彼女を暗示するのみである。源氏の妻、葵の上は男子を出産したあと、物の怪にとりつかれ、生死の境を彷徨っている。加持祈祷をするが、効果はない。そこで祈祷師の照日の巫女が呼ばれる。巫女が呪術で占うと梓弓に引かれて六条御息所の生霊が破れ車に乗って現れる。賀茂祭の際、葵の上の家来と車争いになり侮辱されたことを怨んで、舞台の上の小袖(葵の上)を打ち据える。ここは般若面になり、手には打杖を持ち執拗に打ち据える。横川の僧都が呼ばれ、読経によって御息所の霊を鎮める。

『源氏物語』中では加持祈祷もむなしく、葵の上はみまかってしまう。丁度その場にいた源氏は、怨霊の凄まじさに怖気づく。翌朝六条御息所を訪ねた源氏は、彼女の着物に加持祈祷の際炊いていた芥子の臭いが付いていたところから、彼女の生霊と確信する。それ以来、源氏は彼女を以前にもまして避けるようになる。そして六条は失意の内に、斎宮として伊勢に下る娘に同伴して伊勢に下るのである。

六条の生霊の場面は『源氏物語』でもっともドラマチックな箇所であり、修羅と化した六条御息所を扱った文学作品は能だけではない。三島由紀夫も彼の『近代能楽集』の中で「葵の上」として、アダプテーションを試みている。『近代能楽集』の中では比較的原典に近いものである。

ペン大に2006年から2007年の1年間ヴィジティングフェローとして滞在した折に、大学院の授業中に源氏、能、三島、それそれの「葵の上」バージョンの比較で発表する機会があった。三島の演劇を論じた私自身の博士論文の中でも、「葵の上」を論じた箇所があったからである。その折に、この話にはポリティカルな背景があるのではないかと気づいた。六条の夫は今上帝(源氏の父の桐壺帝)の弟で皇太子だったのだが、何かの理由で退けられて、亡くなったのである。それをもっと調べたいと思ったのだが、そのときは時間切れでできずじまいだった。そして今もそのままである。多くの研究者にとって源氏は「永遠のテーマ」のようなところがある。興味が尽きないのだ。