yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

新しい天皇像を求めて—なぜ秋篠宮とその子を皇統に連ねてはならないのか—戦後の天皇と「国体」

 

国体とは何か

「国体」(National Polity)という語を初めて聞いたのが、なんとペンシルベニア大学大学院での「日本思想史」のコースにおいてだった。私は中・高がミッションスクールだったため、このタームを知らなかったのかと疑った。なにしろ超リベラルな学風だったので。もちろん私自身の「無知」もあっただろう。でもそれ以上に、この語は戦後タブーになっていた。ミッションスクールでなくとも、戦前の日本の政治・宗教が一体となった「祭政一致」、国体の歴史的背景、その実態を語ること、論ずることは、教育現場では極力排されていたのだと思う。ただひたすら、「天皇を頂いての軍国主義は悪でした」という教条を唱えることしか、それに異議を挟むなんてことなど、到底許されなかったのだろう。

国体の本義

この授業で、「国体の本義」なるパンフレットが昭和12年に発刊されていたことを知り、早速大学の図書館に駆け込んで、入手した。昭和12年といえば「2.26事件」の直後。だから単に「戦前・戦中のおぞましい遺物」とみなして、コースぺーパーを書いた後は、忘れてしまっていた。三島由紀夫を博論のテーマしていたのにもかかわらず。最近になって、「あれは一体なんなのだろう?」という疑問を持つようになった。というのも、今の私たちにとって、天皇とはどういう存在なのか、どういう存在であるべきなのか。それを今明確にしない限り、今の皇統論が打ち出せないから。

二冊の参考書

ただ、図書館で検索をかけても、ほとんどヒットしない。タブー扱いだったのか、研究者の関心を引かなかったのか、その辺は私のフィールドではないので、わからない。『天皇と宗教』(講談社)というのが包括的に天皇と宗教の関係を古代から解き明かしていて、非常に参考になった。さらにもう一冊、佐藤優氏の『日本国家の神髄』(産経新聞社、2009)が「国体の本義」そのものを解読する試みをしていた。

戦後「国体」はどうなったのか

『天皇と宗教』を通読して、最も印象に残ったのはやはり戦後「国体」をどうあつかったのか、排除したのか、それとも新しいシステムに組み入れたのかという点である。

戦後天皇の立ち位置—「国体」記載の現御神の否定、及び五箇条の御誓文に拠る

『天皇と宗教』では天皇の人間宣言(1946)によって、国家主義的・軍国主義的要素を切り離した形で「天皇」は、新しい時代(システム)中に組み込まれたと結論付けている。昭和天皇は「国体の本義」での天皇=現御神を否定、明治維新が拠った五箇条の御誓文に謳われた「民主主義」を標榜しようという心算であったとか。明治の「五箇条の御誓文」は「民主的」なものであるという認識は天皇にも共有されていたのだろう。

三島の絶望

ちょっと逸れてしまうが、三島由紀夫が「絶望」したのは、まさにこの部分だったのかもしれない。国体という天皇をヒエラルキーとするシステム、いわば国体共同幻想とでもいうべきものを廃したことが、戦後の民主的日本の文化崩壊を招いたと結論づけていたのだと、今更ながらに納得する。ただ、表向きはそうであっても、三島は「国体」自体にも幻滅していたとは思う。でも彼の中の「英雄」が共同幻想に殉じる道を選んだのでしょう。

美智子前皇后のマスメディアを操っての大衆操作

大衆の期待する(共同)幻想といえば、これを世俗的に利用したのが美智子前皇后。その「成功」はおそらく昭和天皇、そのブレインの予想をはるかに超えたものだった。前皇后は、戦後民主主義のマスメディアを利用してのメディア受けする天皇・皇后像の構築、流布にかけて、天才的ともいうべき手腕でやり遂げている。戦後発展した大衆文化にうまく乗っかって。彼女が参考にしたのがピンキリの大衆文化。共同幻想というにはあまりにも低俗なもの。何しろモデルがハリウッドの女優たちなのですから。

 

「万世一系」を排する戦後憲法

戦後憲法は「国体の本義」で謳われている「万世一系」を排している。「万世一系の天皇を戴く君主制」という国体から「万世一系」を抜くと、それは天皇制と近いものになる。もともと共産主義者が「国体」を否定するものとして唱えた「天皇制」というタームが、戦後「国体」に代わる共通語となったと、『天皇と宗教』では断じている。おそらく、正しいだろう。「国体」を戦後民主主義のフィルターにかけた結果が「天皇制」になるのかもしれない。

「五箇条の御誓文」が謳う「因習を破って知識を世界に求めよ!」

昭和天皇が拠って立とうとした明治天皇が示した明治政府の基本方針、「五箇条の御誓文」には以下のような条文がある。

旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 

つまり、旧来の因習を破って、モデルを世界に求めよということ。西欧では直系長子が王室の長になることが一般的である。日本が未だに男系男子にこだわるのは、まさにこの「御誓文」の意に反するものでしかない。

徳の高い天皇でなければ国は乱れる−−花園天皇の戒書

さらに遡るなら、花園天皇の『誡太子書 かいたいしのしょ』[太子を戒むるの書](1330)がある。『太子書』に書かれていたのは、以下である。『天皇と宗教』(p.130)からの引用。

わが国は外国とは異なり皇胤一統であって、君主は徳が薄くとも、政治が乱れても、(略)心配はいらないと異様な「諂諛の愚人」の説を否定し、ことが現れる前にはしかるべき理由があること、皇威が衰えた今時は未だ大乱に及ばなくとも乱の兆しが見えつつあり、聖王、賢王でなければ治めることは難しいこと、一旦、乱が起きてしまえば賢王であっても、短時日には収束できないこと、恐らくは皇太子が位につくとき、まさにこの衰乱の時運にあたるであろうこと、だから学の研鑽を勧めるのであり、学問をするにしてもただ広く学ぶだけでは意味がなく、経書に精通し、日々省みることが必要である。

「これは皇統の危機が迫っていたなかで、天皇とは何であるかという問題を真摯に考え抜いたところから生み出された一つの解答であった」と『天皇と宗教』の著者は結論づけている。至極妥当なもの。翻ると、今まさに同様の「皇統の危機」が迫っている。徳の高い君主でなくては、到底国の乱れを収めることはできない。秋篠宮家に皇統が移ってはならないという理由がここにある。

なぜ徳の低い秋篠宮に皇統が移ってはならないか 

「国家装置」としての祭祀、それは日本が維持してきた天皇制の根幹をなし、またその存在意義そのものである。その共同幻想に拠って、日本人は古来から天皇を崇敬してきたし、自分たちのアイデンティを帰属させてきている。その祭祀をつかさどるのは天皇であり、それも徳の高い賢王でなくては、国が乱れてしまう。日本人はその「共同幻想」を抱いてきたし、その幻想を保証するものは、まさに天皇が古代から営々と執り行ってきた祭祀をおいてはない。この両義的相関関係の中に天皇とその民がある訳で、幸いなことに現天皇、そしてその長子である愛子内親王は徳の高い天皇にふさわしい方々、その責務を遂行できる方々である。徳の低いというか、全くない秋篠宮、その妻、その息子に皇統が移れば、乱が起きることは必定。