yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

分林道治師シテの世阿弥作『恋重荷』 in「片山定期能 七十周年記念特別公演」@京都観世会館1月25日

演者に変更があった。ツレ役が梅田嘉宏師から片山伸吾師に、後見の片山伸吾師が青木道喜師に代わった。梅田師は先月もお休みで、心配である。

演者一覧を以下に。

前シテ 庭掃きの老人、山科荘司 分林道治

後シテ 山科荘司の怨霊     分林道治   

ツレ  白河院女御       片山伸吾

ワキ  白河院臣下       殿田謙吉

アイ  臣下の従者       茂山千三郎

 

小鼓   林吉兵衛

大鼓   石井保彦

笛    左鴻泰弘

太鼓   前川光範

 

後見   青木道喜  小林慶三

地謡   片山九郎右衛門  味方玄  河村博重  浦田保親

     大江広祐  大江信行  橋本光史  浦部幸裕

『銕仙会能楽事典』から曲概要をお借りする。

白河院の女御(ツレ)を垣間見て恋患いとなった庭掃きの老人・山科荘司(前シテ)に対し、院の臣下(ワキ)は「庭に置かれた重荷を持って庭を何度も往復するならば姿を見せよう」という女御の言葉を伝える。荘司はそれを聞いて喜び、重荷に手を掛けるが、荷は持ち上がらない。悲嘆に暮れた荘司は、女御への怨みを抱いたまま亡くなってしまう。実はこの荷の中身は巌であり、荘司の思いを諦めさせるための方便だったのであった。

荘司の死を悼む女御と臣下であったが、そのとき、まるで岩に押さえつけられたかのように、女御の体が動かなくなってしまう。そこへ現れた荘司の悪霊(後シテ)は、女御に恨みの言葉を述べると、彼女を責め苦しめる。しかしやがて、荘司の霊は悪心をひるがえすと、女御の守護霊となって消えてゆくのだった。

分林師の山科荘司はどこか清涼感があった。前場だけではなく、後場の怨霊になってもそういう雰囲気をまとっておられた。知的な分林師のこと、彼の解釈が施されているような、そんな気がした。

怨霊となった荘司は「重荷悪尉」という特別な面を被って出てくる。苦悩がありありと刻み付けられた面である。つく杖音も彼の恨みの重さを示していて、視覚、聴覚的にいかにもおぞましい姿である。彼の恨みを、ここぞとばかりに煽る詞章。立廻りの場面ではそれが最高潮に達し、「あら恨めしや」、さらに「懲りたまえやこりたまえ」で女御に迫る。ここは迫力満点。

ところが、突如として(そう感じられる)「思いの煙り たち別れ」と思いを吹っ切る風になり、その後「ついには跡も消えぬべしや」で、杖を放り出す。つまり、想いを解放するという展開になる。ここは唐突感が否めないところ。分林師が私から見ると「あっさり目」の荘司像を造型されたのは、この唐突な展開に舞台の収斂点をみておられたからではないかと、勝手に想像している。世阿弥の傑作ではあるけれど、荘司がこんなに一挙に諦めてしまうというのが、どこか無理があるように感じてしまうんですよね。

世阿弥が「材料」にしたという『綾鼓』では、老人は執念の鬼となって、恨みつつずっと祟り続けると予告して消えてゆく。そこに解脱を匂わせるものは一切ない。こちらの方に理が通っているように感じる。三島由紀夫の『綾の鼓』ももちろんこの「路線」を踏襲する。しかし、さすが三島、最後に主導権をとるのは華子(女御)である。彼女は、「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば」なんてことをぬけぬけと言う。岩吉(山科荘司)の純情を嗤うという、ちょっと悪趣味なひねりが施されている。ある種のどんでん返しというか、これはいかにも三島らしいと思う。「近代の解釈だとこうなるのだ」という(ア)イロニー好みの三島の宣言のような気もする。

翻って今回の分林師の山科荘司にもそのアイロニー的解釈を感じてしまった。あえていえば世阿弥作品でも崇拝して演じるのではなく、そこに批評的視点を入れつつ演じる姿勢とでも言おうか。

一つ前に『卒都婆小町』のシテを演じられたばかりの九郎右衛門師が、地頭で座っておられた。休む暇なく。また、太鼓も前川師だったので、うれしかった。