yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『加賀見山旧錦絵』in「初春文楽公演」@国立文楽劇場1月16日夜の部

本公演は「国立文楽劇場開場三十五執念記念」の副題が付いている。以下の四段が上演された。

草履打の段
廊下の段
長局の段
奥庭の段

呂勢太夫さんが病気療養のため休演で、彼の演じるはずだった岩藤を豊竹靖太夫さんが語られた。昨年11月のこの劇場での公演も休演されていて、心配していたところだった。早く快癒されることを心から願っている。岩藤担当だったなんて、見たかった。力演だったに違いないから。以下に演目解説、そして演者一覧の載ったチラシをアップしておく。

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文楽での『鏡山』は2007年4月に国立文楽劇場で見ている。そのときも今回と同じ段構成だった。残念ながらあまり覚えていなくて、「長局の段」での千歳太夫・清治の組み合わせがうっすらと思い出せる程度。おそらく歌舞伎での『鏡山』がずっと頭に残っていて、比較してしまったのでは。『歌舞伎』の方が場面数も多く「派手」だから。 

今回の公演は歌舞伎と同程度に強烈だった。とくに圧巻だったのは「長局の段」。「前」部は千歳・富助の組み合わせ。千歳さんの華やかな声が力強い富助さんの三味線とあいまって、若いお初の想いを際立たせる。お初の『忠臣蔵』を引き合いに出してそれとなく主人の尾上を諌めるところが感動ものである。塩谷判官の無念からくる吉良上野介への刃傷沙汰が、赤穂藩取り潰しに繋がったわけだから。もっとも、この『鏡山』自体、『忠臣蔵』をなぞっていて、それがお初による敵討ちという結末につながってゆく。

さらに「後」部は織太夫・藤蔵が、前部を上回る情に溢れた語り、三味線になっていた。自害して果ててしまった尾上へのお初の切々とした語りかけは、涙なしには聞けなかった。「織さん、やるじゃない!」って呟きつつ、見ていた。

最後の「奥庭の段」は靖太夫・錦糸の競演。こちらも胸のすく語りだった。靖太夫の語りは穏やかな風情ながら、芯がしっかりとあるもの。それが敵討ち場面では上げ調子でズンと上げ調子の語り。仇討ちの高揚した感情を客と共有するのに成功していた。

人形は、尾上を和生さん、お初を勘十郎さん、岩藤を玉男さんというのがこれ以上ない配役。それぞれまったく瑕疵のない完璧さだった。男性が主人公の狂言より、こういう女性が主人公のものの方が数倍演じるのは難しいと想像できる。名人でなくてはここまで遣えないだろう。そうそう、気づいたこと。なんとお初の人形には足がありました!

そういえば、『鏡山』は歌舞伎でも最近あまり演じられてない。データベースに当ったら直近が2008年の新橋演舞場。10年以上間が空いいていることになる。なぜだろう?歌舞伎版は1994年9月に歌舞伎座でみている。以下がその時の主たる配役。尾上が花道上で萎れている姿は雀右衛門ならではの巧さで、尾上の身を切るような辛さ、悔しさがダイレクトに伝わるものだった。「敵討ち」に燃えるお初を、こちらは対照的に「元気な」芝翫が演じて、それに拍手喝采したものである。「ここまでやる?」っていうくらい尾上をいじめ抜いて哄笑する岩藤役の吉右衛門が、なんといっても秀逸だった。今でも吉右衛門を見ると女方が重なってしまう。可笑しかったんですよ、吉右衛門は確かにあの嗜虐性を楽しんでいました。 

それと、文楽にはなかった場面が「別当所竹刀打ちの場」。ここで岩藤は武士階級の出身ではない尾上に竹刀での勝負をさせようとする。それを武士の家出身の尾上腰元お初が引き取って、岩藤を打ち据える。このシーンがそのあとの岩藤による尾上の草履うちにつながるので、あった方がいいように思う。芝翫が意気揚々と竹刀を振り下ろす様が今でも目に浮かぶ。ただ、この狂言は浄瑠璃版を元にしているので、文楽に歌舞伎版を入れ込むのは無理だろうけれど。

最後に私が見た1994年9月の歌舞伎座公演時の主たる配役を歌舞伎データベースからお借りして、アップしておく。

中老尾上 = 中村雀右衛門(4代目)

召使お初 = 中村芝翫(7代目)

局岩藤 = 中村吉右衛門(2代目)

剣沢弾正 = 坂東彦三郎(8代目)

牛島主税 = 中村東蔵(6代目)

奴伊達平 = 中村橋之助(3代目)

庵崎求女 = 大谷友右衛門(8代目)

息女大姫 = 中村芝雀(7代目)

侍女左枝 = 中村玉太郎(4代目)

中間可内 = 中村翫之助(4代目)