yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

エリザベス女王は雅子皇后陛下の素晴らしさをご存知ですね

「海外も」というより、海外王族、貴族の方々の方がずっと雅子皇后陛下の素晴らしさをご存知で、令和になってからは天皇・皇后両陛下を国賓として招待したいと「引く手数多」状態。今までは前皇后が海外訪問を采配、自分たちや秋篠宮一家に独占させていた。そのほぼすべてが向こうからの「招待」ではなく、日本が費用を持った私的旅行。国際親善なんておこがましい。真の意味での「交流」は皆無に近かったのでは。これを「公務」と称していたんですからね、嗤えます。相手国の言語も話せない、英語もダメ。文化を理解する知力も乏しい。その必要性が分からないし、その気もない。彼らは恥をかきに行っていたのですね。彼(女)たちがしたかったのは、衣装の見せびらかし。それにどれほど莫大な税金が遣われたことか!実態を知れば知るほど、日本人として恥ずかしい。まったくもって税金の無駄遣い。

雅子皇后陛下の頭脳、知性ともに比類ない素晴らしさは、周知のところだけれど、経歴をWikiで拝見して、そのすごさに改めて感銘を受けた。単に「優秀な方」である以上に、隙なく漏れなく優秀であることが、一つ一つの経歴で証明されている。英語のみならず数カ国の外国語に通じておられるといったそんな単純な、表層のことではない。もちろん語学は普通に留学した程度ではなく、それをはるかに超えた力の方である。すごいのは、その語学をツールとして完璧に使いこなせることである。それだけの知性があるということ、内容があるということ。

しかも外務省時代のご活躍は、言語を自家薬籠中のものとされていた以上に、西欧社会ではプロトコルになっている(日本人が不得手な)ネゴシエーション術を会得されていたことの証左である。

美智子前皇后やキコ妃のお天気会話レベル(それも大したことはない?)の話ではない。美智子前皇后の英語のレベルは彼女が愛読書と「主張している」ジーヴスを誤解していることで、バレてしまっている。また、キコ妃のそれはスピーチの貧弱さや、海外賓客に適当にあしらわれているところに暴露されている。彼女たちが皇后陛下と「競う」なんて、おこがましいにも程がある。

雅子皇后陛下の学業履歴、キャリアをWikiから拝借、時系列に並べてみた

1.アメリカの高校時代にNational Honor Society賞を受賞。

これは、合衆国政府が米国全体の上位5%の生徒に贈る賞。

 

2.ハーバード大学卒業時、Magna Cum Laude(優等賞)を受賞。 1985年卒業生総数1681人のうち受賞者は55人のみ。

 

3.外交官試験合格

1986年、東京大学法学部3年に学士入学(100名中3名のみ合格)。

同年10月に外交官試験に合格(28名の合格者のうちトップ成績)したので、東京大学を中途退学。

 

4.外務省に入省(1987)、経済局国際機関第二課に配属される。

OECD(経済協力開発機構)の担当。

 

5.外務省の海外研修留学生として、オックスフォード大学

ベリオール・カレッジに留学(1988)、「国際関係論」を専攻。

 

6.外交官として活躍

第16回先進国首脳会議(G7、1988年)の海部俊樹の通訳を務る

オックスフォード大学留学から帰国後、北米局北米二課に配属。 

雅子皇后陛下はいわゆる帰国子女ではなく、高校2年生からアメリカの高校に編入学され、ハーバード大学に進学されている。高校、大学ともに優秀賞を獲っておられる。特に大学での「Magna Cum Laude」にはため息が出てしまった。スゴイ!母語としての日本語が確立された状態での高校編入。英語が母語の人と、それも超優秀な人たちとの熾烈な競争があっただろう。並々ではない努力もされたと思う。ご苦労も並大抵ではなかっただろう。その上での優秀賞。ただただ、恐れ入ります。 

私の拙い経験と比べるのは畏れ多いのだけれど、ハーバード大学で「Magna Cum Laude」とはどれほどすごいことかは、自身の経験からよくわかる。私が大学の準教授職を辞してペンシルベニア大学に大学院留学した折、学部であれ、大学院であれ優秀賞をとる日本人留学生は周りにいなかった。ペンシルベニア大学もアイビーリーグ校の一つで、東大からの留学生にも何人か出会ったけれど、みんな生存競争に勝つだけでもアップアップな様子だった。途中で諦めて帰国した人もいた(そういやキコ父川辰もペンのPh.D というのだけれど、何か裏がありそうという疑念が拭えない。ペンの恥ですね)。私も毎日が「針の筵」状態。自分の不甲斐なさに下を向いて歩いていて、ぶつかりそうになった指導教授の一人に「どうしたの?」って心配されたこともあった。 

留学生が躓く最たるものは英語でのディスカッション、そして英語のペーパー(小論文)。リーディングアサインメントという課題図書を1コースにつき毎週100頁も読まされ(学生は普通3〜4コースを1学期中に履修)、授業はそれらについてのディスカッションで進められる。発言しないとアウト。各コースでは試験、それと8頁から15ページ程度のペーパー提出が各学期中2回は求められる。これを学部の場合3年から4年間続けなくてはならない。それら全てをひっくるめて、全てのコースでA/ A+をとり、優れた卒業論文を書く必要がある。加えて、教授陣から並外れて優等だったお墨付きをもらわない限り、優秀賞は獲れない。

雅子皇后陛下は頭脳明晰な方である。が同時に、凄まじいばかりの努力もされたのだろうと推察する。アメリカの大学はまさに「生存競争」だから。トップ校になればなるほど、そうだと思う。

日本の最高学府での馴れ合い、ゆるゆるぶりとは全く一線を画している、それがアメリカのトップ校。日本の大学教授であれアメリカの大学では生き残れない(「海外留学」したことになっている大学教授の「悲惨」な状況を面白おかしく茶化した筒井康隆氏著『文学部唯野教授』を参照あれ)。語学の問題もあるけれど、研究方法が天と地ほども違うから。論理性を磨き、仮説を立て、演繹的に自分の説を証明するというのが、つまりレトリックに沿った論の展開が、欧米の大学で求められる。それができないとサバイブは難しい。雅子皇后陛下の卒業論文を読んだトランプ大統領が驚嘆したという。論の立てかた、その証明方法が抜きん出ていたということだろう。もちろんその内容も。英語表現は当然のこと、ネイティブの上を行っておられたに違いない。

美智子前皇后がいかほど大学時代に英語を勉強されていたとしても(ただし公開された成績は普通レベル)、あくまでも(日本の大学基準の)「お子様レベル」にもなれない幼稚園レベルだろう。キコ妃は幼い頃フィラデルフィアにいたといっても、こちらも幼稚園レベルだろう。問題は彼女たちが英語でディスカッションできるほどの力があるかどうか。まして、レトリカルな論を展開するなんてことは、知りもしないだろう。単に意見を述べるのだって、無理だと断言できる。

加えて(こちらの方が重要なのだけれど)その内容が教養のある大人レベルのものかどうか。普段の言動から鑑みる限り、研究なんてことを、書物を読み込むなんてことを、およそやっているようには見えない。対象を分析するだけの知性を感じられない。さらにいえば、「教養をつける」努力とは無縁の方々のようである。キコ妃のお茶女での「博士号」、噴飯もの。修論どころか卒論レベル。呆れる。ハリボテ以外のなにものでもない。これ、お茶女の恥ですね。そういう人が権力を持つと、いかに恐ろしいかを私たちは今、目撃している。知性と品性(人格)とは連動するんですね。

前皇后にしてもキコ妃にしても、教養(culture)とはおよそ無縁。雅子皇后陛下を競争相手に目するなんて、あつかましい。皇后陛下が優れておられるのは、この二人が逆立ちしても敵わないその知性と教養の深さ。そして何よりもその人格の素晴らしさである。この方を長年幽閉状態にしていたとは!怒りに体が震える。

ヨーロッパの王族・貴族の方々は独自の情報網で、この嘆かわしい日本皇室の状況をご存知のはず。エリザベス女王も然り。今回の宮内庁を飛び越しての女王直々の天皇・皇后陛下への招待はその上でのことだろう。今回の招待、費用は英国持ちである。平成時代、徳仁皇太子殿下と雅子さまとを招待したのに、お呼びでない美智子前皇后夫妻やら秋篠宮夫妻がやってきた轍を踏むまいとの、英国王室の、エリザベス女王の配慮に違いない。

知性・教養に欠ける人たちは永遠にお呼びでない(招待されることはない)。語学もダメ、加えてまともな会話ができませんものね。恥をかくだけ。だから自分たちで押しかけ訪問をしてきたし、これからも押しかけるんでしょう。国民の税金で。本当に恥ずかしい。まともに相手にされることは永遠にないだろうけど。