yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

その気品の高さ、きらめきで「煌」の化身−−羽生結弦選手の目にも鮮やかな「秋によせて(Otonal)」 in「全日本フィギュアスケート選手権2019、男子ショート・プログラム」 12月20日@ フジテレビ

改めて、その美しさと力強さに感動。スポーツではこの二つは両立しないことが多いけれど、羽生選手の場合は完璧なまでの一致。

4年ぶりの全日本、全くぶれがなく、彼の自らの技への「信頼」が窺えた。強靭と美の混合態。それをごく当たり前のように、自然体でやってのける。どういう場でも、どんな不利な状況でも、それを摂りこみ、演技の一部と化すことのできる身体の、そして精神的強靭を、彼は身につけた。だから安心して見ていることができた。とはいえ、やっぱり涙が出てしまった。観客席でも同じように涙を拭う人がいた。

スケートリンクは舞台。一つのドラマを舞って魅せる。序の舞から始まり、最後は急の舞に転じる。ステップの間に入るジャンプの切り立ったような鋭さ。スピンの華麗さと多彩。何よりもそれら流れが途切れない。しかもすべての所作に意味が込められている。この短い時間をその流麗さで、その力強さで、その鋭さで制覇した羽生結弦選手。「プリンス=王子」から一境地抜き出てしまった。でも「帝」とか「王」というより、高貴と気品を纏っている「皇」。静かな闘志がきらめいている点で、「煌」でもある。 

なんという人を私たちは同時的に共有しているのだろう。なんという幸運なんだろう。録画していたので、何度も再生して見ている。そして一瞬、一瞬にときめく自分に驚いている。わくわくするというのでは、ことばが足らない。何か迫られている感じがある。ぼやぼやしてはいけないっていうような。感度をとぎすませ!と言われているような。単なるスポーツの試合を見ている感じではなく、やはり一つの芸術的ドラマを見ている感じがする。それもinteractiveな。見ている側にも参加を要請しているような。

この全日本、最新テクノロジーを使っての演技判定。採点も安心して委ねることができた。これを国際的な試合でも採用し、公開してほしい。グランプリ・ファイナルの採点方法があまりにもずさんで偏っていたから。採点の一部始終を「公開」すべきだろう。