平成は女帝の時代だった。
週刊誌、特に女性週刊誌を、皇室担当記者を抱き込み、昭和、平成の長きにわたってヨイショ記事を書かせてきた前皇后。そして令和になっても、天皇陛下、雅子皇后陛下に慶事があるとそれを邪魔する(それに水を差す)かのように、自分の体調不良を週刊誌に書かせている。うんざり。
そしてそれらの駄(堕)記事をいちいちニュースで採り上げる共同通信、朝日新聞等の筋金入りの美智子サポーター連中。未だにそれらを信じているおばかな大衆がいることが、本当に腹立たしい。
前皇后の目論見(悪巧み)に反して、ネットで次々と暴かれる悪行。その最たるものが、11月から元宮内庁職員だった小内誠一さんという方が書いておられるブログ「皇室是是非非自録」である。一読をお薦めする。内容も文章も格が高く、信憑性が高いことが一読してわかる。
ただ、美智子一味に消されるのではないか、また小内氏の身に危険が及ぶのではないかと、とても心配ではある。みんなで注視して行きましょう。
皇室是是非非自録
小内誠一
ガールズちゃんねるで「美智子さまお茶会のお楽しみ」というタイトルのブログの一節が紹介されているのを読んだ時、美智子前皇后のあまりの下品さに吐きそうになった。雅子皇后陛下(当時は皇太子妃)がこんな酷い虐めに会っておられたのだと怒りに燃えたと同時に、よくぞ自殺されないで、本当によかった!と思った。当該記事が以下である。
美智子さまお茶会のお楽しみ
平成の世は、毎週のように週刊誌に雅子さまバッシング(醜聞)が掲載されていた。ところで美智子さまの日課は、その日発売された週刊誌の皇室記事をチェックされることだった。
美智子さまが最も気にされたのはご自身が批判的に書かれているかどうかだ。だが、93年に起きた「美智子さまバッシング」以降、皇后陛下を直接的に批判する記事は鳴りを潜めたため、ご興味は他に移った。そこで新たな楽しみとなったのが「雅子さまバッシング」を面白おかしく楽しまれることだった。
美智子さまは週1くらいの頻度で、プライベートなお茶会を開催されていた。呼ばれるのは美智子さまの気心の知れた友人が中心で、清子さんは頻繁に、紀子さまは月1くらいで参加された。そこで「酒の肴」として毎度のごとく取り上げられたのが、雅子さまへのバッシング(醜聞)だ。たいてい美智子さまが週刊誌のスクラップ帳を持ち出して「あら。また雅子さんこんなこと書かれちゃってるわね~」といった具合だ。
今も鮮烈に残る光景がある。雅子さまが夜中に赤坂御用地を徘徊(週刊誌では“散歩”と表現された)しているという報道があった時のことだ。もちろんこれもお茶会で「酒の肴」にされた。のみならずこの時、ある参加者が、美智子さまの歓心を買おうと、白目で口を大きくあけ手をだらりとしながら“徘徊される雅子さま”なるお姿を再現され、参加者一同、大笑いしていた。
何とも言えないすごいお茶会であった。幸いにもこのお茶会は平成の後半に、より具体的には清子さんが結婚され参加頻度が落ちたこと、小室圭さん問題などが表出し紀子さまとの嫁姑関係に変化が起きたことなどから次第に開かれなくなった。令和の世にはこのようなお茶会が開かれないことを願うばかりである。
ものすごい内容!
また、この14日の記事にも「美智子さま『病ませた』週刊誌記事とは? 雅子さまバッシングには黙っていた「宮内庁のダブスタ」という記事がアップされている。週刊誌と前皇后との関係と「病」の真相に迫っている。目次だけアップさせていただく。
例の雅子皇后陛下の「馬アレルギー」も「お疲れ」報道も全て美智子前皇后を慮ってのことだとわかる。まだまだ虐め、嫌がらせが続いていることも明々白々である。
何しろ、「皇嗣」パレードも実施されそう。また前天皇・皇后の新年一般参賀での「お出まし」もあるとのこと。それと皇居占拠は彼らが亡くなるまで続く?
宮内庁、そして官邸へ抗議のメールをしましょう。
宮内庁への意見提出フォーム
https://www.kunaicho.go.jp/page/contact/
官邸への意見提出
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
地元選出の議員に「これを議案にあげてくれない限り、投票はしませんよ」と伝えるのも効果的だとか。