yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

やはり素晴らしかった浅井通昭師の『天鼓』in「井上定期能12月公演」@京都観世会館12月7日

今回の公演チラシが以下。

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今年9月の公演で、浅井通昭師が演じた『錦木』に衝撃を受けた。記事にしている。

www.yoshiepen.net

格の高さ、品位、そして美しさで申し分なかった。どういう方なんだろうと思っていた矢先、この公演に出逢えた。幸運としか言いようがない。チラシに掲載されていたチラシをアップさせていただく。合わせて、解説も。

シテ 天鼓の父 王伯  浅井通昭

   天鼓の幽霊    浅井通昭

ワキ 皇帝の勅使    有松遼一

アド 勅使の従者    島田洋海

 

大鼓        渡部 諭

小鼓        曽和鼓童

笛         左鴻泰弘

太鼓        前川光範

後見        井上裕久  寺澤光芳

地謡        寺澤巧

 

概説

 中国、後漢の御代に、王伯王母という夫婦がいました。妻はある日、天から鼓が降り下り、胎内に宿る夢を見て一子を産み、その子を天鼓と名づけました。その後本物の鼓が天よりその子の元へ降り下り、打てば実に美しい音を出します。それを伝え聞いた帝は、鼓を献上するよう命じます。天鼓はそれを拒み山中へ逃げますが、やがて探し出され、その身は呂水の江に沈められ、鼓は召し上げられてしまいます。しかし、宮中に召し上げられた鼓は、その後誰が打っても音を出しませんでした。
 本曲はここから始まります。子を失った老父王伯は、悲嘆に暮れる日々を過しています。そこへ、勅使がつかわされ、宮中へ来て鼓を打つよう命じます。勅命を受け老父は、自分も罰せられるのであろうと覚悟し参内します。帝の前で、恐れながら鼓を打つと、不思議にも妙音を発します。この奇跡に、帝も哀れを感じ、王伯に数多の宝を与え、天鼓の跡を弔うことを約束して帰らせます。〈中入〉
 やがて呂水の堤で、鼓を据えて管絃講(音楽法要)による弔いが行われます。すると天鼓の幽霊が現れ、手向けの舞楽を喜び、供えられた鼓を打ち、喜びの舞を舞います。
 親子の情愛と名器の神秘を描いた作品で、前後でシテの人物もかわり、情趣も一変します。前場の老父の悲しい心境と、後場の歓喜に満ちた天鼓の舞、見事な対照といえます。弄鼓之舞(特殊演出)の節は、後場の舞である「楽」が「盤渉楽」となり、舞の中でも鼓を打ち戯れたりして、歓喜の心が強調されます。 

まず、橋掛りの出端が素晴らしかった。愛する子供を失った悲嘆がひしひしと伝わってきた。弱々しいものの、品格があり、この先の演技の奥行きが推し量れる名演技だった。老人ながら、曰くのある人だとわかる演技。 

そして、帝の前に進み出るさまも、鼓を打つさまも悲しい。想いが募ると激しい吐露される情けの激しさ。理不尽に殺された息子への想いが奏でる鼓の強い音。この場面が非常に説得力があった。この肝心な場、息子を殺した帝は出てこない。まるで独演のように、独り相撲のように鼓を打ち続ける老人。ここ、悲しい。

後場、管弦楽の法要の最中に現れた天鼓の霊。美しい鼓を鳴らす。音楽が奏でられる中、天鼓は鼓を打ちながら舞を舞う。ここの軽やかさが前場の老人の弱々しさ、重さとは著しい対比になっていた。これが能の妙味である。前場、後場と同じシテ方が演じる場合、スムースにつながる場合と、この『天鼓』のように齟齬がある場合がある。どちらかというと、後者の方がドラマチックではある。浅井師はそのドラマチックであるところを、逆に大仰にではなく淡々と、爽やかに演じられた。唸らされた。