yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

梅枝の阿古屋で『壇浦兜軍記』in「十二月大歌舞伎」@歌舞伎座 12月4日昼の部

まず、「配役」と「みどころ」を「歌舞伎美人」からお借りする。

遊君阿古屋
秩父庄司重忠
榛沢六郎
岩永左衛門

梅枝
彦三郎
功一
九團次

 

愛する人を思い奏でる、麗しき音色

 平家滅亡後、平家の武将悪七兵衛景清の行方を詮議するため、問注所に引き出された景清の愛人、遊君阿古屋。景清の所在を知らないという阿古屋に対し、岩永左衛門は拷問にかけようと主張しますが、詮議の指揮を執る重忠はこれを制します。重忠が阿古屋の心の内を推し量るために用意させたのは、琴、三味線、胡弓。言葉に偽りがあれば音色が乱れるはずだと、三曲の演奏を命じられた阿古屋は…。
 実際に楽器を奏でながら心情を細やかに表現しなければならない阿古屋は、女方屈指の大役。絢爛豪華な義太夫狂言の名作を、日替わりの配役でご覧いただきます。

私がみた Bプロでは梅枝が阿古屋を演じていた。児太郎の阿古屋はちょうど一年前に見ている。

www.yoshiepen.net

何しろ「阿古屋」は曰くつきの役。1997年に玉三郎が演じるまで、六代目歌右衛門が50年以上も「独占した」役である。おそらく「天皇」と呼ばれた歌右衛門が他役者が演じるのを許さなかったのだろう。このあたりのことを、「Spice」がさりげなく玉三郎に訊いている

質問: いま阿古屋を演じられる方が三人います。50年以上、お一人の方が勤めてこられた役なので新鮮に感じられます。

 答え: 他の方(女形の俳優)にも、『自分も阿古屋ができるのではないか』と思っていただけたようです。とても良いことだと思います。児太郎さんと梅枝さんには、同じことを教えていますが、(同じ阿古屋にはならず)変わってくるのが不思議でもあり、面白いところ。お二人は大変仲良くされていて、お互いに、自分の阿古屋の課題を話し合ったりもされているようです。これも良いことですよね。

文字通り「阿古屋」の解禁。色々な役者で見てみたい。 

梅枝の阿古屋はまさにニン。格の高さがその佇まい、所作、何よりも琴の演奏そのものにはっきりと表れていた。非常に危なげがなく、見ている側もハラハラしないで済んだ。阿古屋が演奏する三曲は琴で「蕗組の唱歌」、三味線で謡曲「班女」の一節、胡弓では謡曲「望月」の一節。梅枝が演奏し終わると客席から大きな拍手が。

私が注目したのは岩永左衛門。何しろ昨年の『兜軍記』ではこれを玉三郎が演じていた!まるで赤鬼のように真っ赤に塗った顔、そして所作はまるで人形浄瑠璃の人形振り。阿古屋の演奏に連れて、大仰な人形振りを見せるのが可笑しかった。玉三郎とはわからなくても(筋書を見るまで気づかなかった)、位の高い人だとはわかった。Aプロでは松緑が演じたらしい。で、九團次。比べたら気の毒だとは思うのだけれど、キモが入っていなかった。海老蔵にくっついている間に芸が荒れた?

玉三郎の想いがいっぱいこもった「阿古屋」。それが痛いほど伝わってきた。何か「歴史の証人」にさせられている気分だった。