yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

今月の歌舞伎座公演は玉三郎が考える「歌舞伎」の理想形を示したものだった?

「歌舞伎美人」サイトから今月のチラシをお借りする。

f:id:yoshiepen:20191210050422j:plain

今月の歌舞伎座公演は、芝居も舞踊も玉三郎好みの色合いが強いように感じた。玉三郎が自身が理想形とする「歌舞伎」を示したものとして、ずっと語り継がれるかもしれない。

古典芝居・舞踊(『壇浦兜軍記』、『神霊矢口渡』、「松風」、「保名」)、そして新作劇(『たぬき』、『白雪姫』)と、新旧の取り合わせがそのひとつ。また、昼・夜通してのプログラム構成にも、新作劇の『たぬき』と『白雪姫』で古典劇・舞踊をサンドイッチにしているところに、新旧の対比を見せようとしているのでは?そして彼が考えている今後の歌舞伎の将来像のひとつの形を示しているように感じた。

さらに、女方の最高峰、『兜軍記』阿古屋と『矢口渡』お舟に、今最も注目される新進気鋭の女方二人—児太郎と梅枝—を競演させている。玉三郎がどうしても引き継いで欲しい女方のエッセンスをこの二人に託したようにも感じた。

つぎつぎと打たれる新作歌舞伎。玉三郎はそこからは距離を置いていたように見えた。むしろ、自身のこだわりにより深く沈潜するというか、そんな感じがしていた。とはいうものの、玉三郎は歌舞伎とはすでに「袂を分かって」いた?普通の歌舞伎、例えば歌舞伎座のものにはほとんど出演がなかった。それが最近は誇示するかのような出番が増えている。なぜか?

その理由を推し量るのは簡単だ。彼が「娘道成寺」をあれほどまでに執拗に若手女方と踊ったところにその答えがある。菊之助をはじめとして、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎と踊った女方舞踊の最高峰とでもいうべき「娘道成寺」。玉三郎は若手女方に自らが持っているノウハウ(?)を伝授するという目的があった。だから、全力で彼らと立ち向かったのだろう。そして、その結果に少なからず満足しているように感じられる。

次代を担う若手にしっかりと歌舞伎女方舞踊の真髄を叩き込みたかったのだろう。新作もいいけど、古典をある程度モノにしてからでないと、公演を成功させるのは難しい。しっかりとした土台ができていれば、舞踊だけでなく芝居でもその力は容易に発することができる。基礎をいい加減にしていると、何も発展させるのができなくなってしまう。 

歴史の人玉三郎は、このあたりについては重々承知である。その上で、できるだけ的確に下の世代に伝えたいという思いはしっかりと受け止めなくてはならない。