yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

溝口健二監督・依田義賢脚本・田中絹代主演 映画『女優須磨子の恋』(1947)@宝塚市図書館西分館10月11日

ずっと見たいと思っていたこの作品、やっとスクリーンで見ることができた。ただ、今まで見てきた溝口・田中・依田チーム作品ではもっとも面白くない作品だった。これは意外だった。さすがの溝口も戦後作品はよくないのかとかと一瞬思ったけれどそんなことはなく、戦前の『浪華悲歌』(1936)、『残菊物語』(1939)等と並ぶ『西鶴一代女』(1952)なんていう佳作や、『雨月物語』(1953)のような傑作もある。

 川上貞奴と松井須磨子(1886—1919)は、日本女優史のみならず俳優史の中でも重要な人物だと思う。貞奴についてはいっとき集中して調べたことがあったけれど、松井須磨子については手付かずだった。新劇女優ということで、食指が動かなかったのかもしれない。

 須磨子を有名にしたのは主人公のノラを演じた『人形の家』(島村抱月訳、1911)の舞台。25歳だった。すでに離婚を経験し、人生を女優に賭ける決心をしていた須磨子は、まさに「新しい女」ノラと重なる。その後、トルストイの『復活』でのカチューシャ役で大当たりを獲った。文芸協会から出て、抱月とともに芸術座を立ち上げる(1913)。この後は順風満帆というか、おびただしい舞台に立っている。そのほとんどが、典型的「新劇」のものだった。

 ここまでの数をこなすには、日常生活でも並々ならない苦労があったに違いない。映画では巡業の様子が描かれていたけれど、まるで旅芝居のものだった。抱月が病に倒れた原因が過酷な旅巡業にあったと思わせられた。『残菊』を思わせる場面がいくつかあった。

 田中絹代が連綿と演じる翻訳劇主人公、その演技には「借り物」感がつきまとい、かなり興ざめだった。翻訳劇(西洋劇)のセリフを日本語のリズムに乗せるのは、かなり無理があると思わせられた。白けてしまう(やはり歌舞伎、文楽等の伝統演劇の手法を適用するしかないように感じた)。田中絹代が似合わない金髪鬘を付け、西洋の古着屋で調達したような衣装を纏って歌うシーンが延々と続くと、身の置き所がないほど「恥ずかしい」気分になった。まるで、拷問を受けているようだった。まあ、そこに生じるギャップを「忠実」に撮っていると考えれば、逆にここまで徹底してギャップをあらわにした溝口チームは、優れているのかもしれない。いかに日本の舞台に「新劇」が馴染まないかを、田中絹代の身体を通して、赤裸々に描いているから。だから、私が「よくない」と評価したのは間違いなのかもしれない。

 須磨子と抱月、そしてその家族との絡みシーンには、「さすが溝口!」と唸る場面があった。『残菊』でのカメラワークを思わせるところも多々あった。調べたらカメラはまさしく『残菊』を撮った三木滋人。ずっとこういう場面ばかりを見ていたかったというのが、偽らざる本音。以下、Wikiから借用したスタッフと主たるキャスト一覧。

スタッフ

監督

溝口健二

脚本

依田義賢

原作

長田秀雄

出演者

田中絹代
山村聡

音楽

大澤壽人

撮影

三木滋人

編集

板根田鶴子

製作会社

松竹京都撮影所

配給

松竹