yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師の舞囃子「融」in 「第30回初秋の能 分林保・分林弘一追善能」@京都観世会館9月29日

お囃子、地謡方は以下の方々。

笛   森田保美

大鼓  河村 大

小鼓  吉阪一郎

太鼓  井上敬介

 

地謡  大江広祐  味方玄  古橋正邦  橋本忠樹 

九郎右衛門師の「舞囃子」はその早舞部を切り取ったもの。改めて舞の旋回の多さに瞠目させられる。能で、こんなに頻繁にくるくる舞う舞いは珍しいように思う。九郎右衛門師の回転がこれまた美しい。惚れ惚れと見惚れてしまう。

左に回転、途切れることなく右に舞う。そこに屹立しているのは、天から地までを貫く軸。その軸の周りを舞い回るので、一糸乱れない整った回転になっている。それも舞台中央奥を起点にしてシテ柱、目付柱、そしてワキ柱とを繋ぐ線に沿ってのもの。その放射状に発する舞を、舞台を巡る(巡回する)動きが統括する。しかもその舞を舞うシテ=演者の身体は、天—地の軸にどこまでも忠実である。まるで誰かの意思で持って動かされているマリオネットのような感じ。一つのシンボルに化した感じ。ここまで「マリオネット」化できるのは、名手の九郎右衛門師だからだろう。九郎右衛門師の立ち姿に微塵の乱れもなく、足袋裏が冴え冴えと美しい。余韻を残して舞は終わる。

以下、早舞部のあらまし。見誤っていれば何とぞご容赦。

⚪︎ 舞台奥中央で2度旋回。

⚪︎ 目付柱近くに出て扇を左手に持ち替えてくるりと旋回、さらに後ろに進んでシテ柱付近で左旋回、右旋回の組み合わせで3回舞う。

 

⚪︎ 舞台上手に進み、ワキ柱で止まり、進行方向を変えて斜めにまたシテ柱近くにささっと速めの速度で進み、そこで2回舞う。

⚪︎ それからの舞台を縦横に舞進み、舞台奥へ。そこで二回舞う

地謡のロンギの間、シテ柱近くに後ろ向きに佇む。動かない。 ロンギの終わりで前に向く。

⚪︎ シテの謡が入る。

   「それは西岫に。入日のいまだ近ければ その影に隠さるる
    たとへば月のある夜は 星の薄きが如くなり」

⚪︎ ここからシテと地謡の会話。まるで漢詩の世界。

 

⚪︎  舞台中央奥で二回旋回。

   「あら名残惜しの面影や 名残惜しの面影」

  体言止めが余韻を残す。 

この舞囃子早舞部、主人公(シテ)=源融が昔の栄華を偲んで舞っているとのこと。しかも融自身があの光源氏のモデルになったという説もあるとか。だからこの舞には、光源氏が舞った「青海波」が重ねられているのかもしれない。

特筆すべきは詞章の美しさが群を抜いていること。それも古今、新古今といった和歌集からとったものではなく、『和漢朗詠集』からのものが多い。手元の『謡曲百番』で確認した。改めて作者世阿弥の教養の深さ、広さに思い至る。

前の記事にも引用させていただいたけれど、銕仙会の能楽事典から解説をお借りする。

観阿弥の演じた能(『融』)は、地獄に堕ちた融大臣の前に地獄の鬼が現れ、融大臣の霊を責め立てるという内容であったようです。融の物語の中でも、現世への恨み、怨念といったものに注目し、妄執ゆえに地獄に堕ちて苦しむ融の姿を描いた能であったことが推測されます。

 

そういった、融の物語を描いた能の歴史がある中で、世阿弥作である本作では、融の霊を、恐ろしい鬼や痩せこけた地獄の罪人の姿ではなく、華やかなりし頃の姿として描いていることが注目されます。観阿弥時代の能に見られたような融の執念は影をひそめ、その執念は内に秘めながらも、月光のもと優雅に舞を舞う華やかな貴公子の姿が前面に押し出されており、融の物語の中でも過去への追憶のほうに主眼がおかれています。今や廃墟となってしまった河原の院に現れ、二度と戻ることのない昔を偲んで舞を舞う…。哀愁を誘う荒廃した邸宅と、美しく雅びな舞い姿の中に、この能の情趣はあるといえましょう。

(文:中野顕正氏)