yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

茂山逸平、丸石やすし師の狂言『伯母ヶ酒』in 「片山定期能九月公演」@京都観世会館 9月21日

とても軽妙な狂言だった。甥を茂山逸平師、伯母を丸石やすし師が演じられた。

逸平師、やすし師の掛け合いがおかしい。

以下、立命館大学能学部のサイトから、あらすじをお借りする。

酒屋を営む伯母はしわいな人(けち)でありまだ甥に酒を振舞ったことがない。ある日、今度こそ酒にありつこうと甥は伯母の家を訪ねるが、どう頼んでもまんまと断られる。甥はふと名案を思いつき、帰り際にこのあたりには恐ろしい鬼が出るので気を付けるように、と親切ごかしに脅かす。いったん帰る振りをした甥は鬼の面をかぶって引き返し、恐れおののく伯母を尻目に蔵に入り込み存分に酒を飲むが、酔いが回って寝込んだところを伯母に正体を見破られ、ほうほうの体で逃げていく。

 「しわい」という言葉を初めて知った。逸平師の「(伯母は)しわーい人じゃによって」というセリフにリアリティがあり、おかしみが立っていた。こういう役は逸平師のまさにニン。

また迎え撃つ伯母役のやすし師の愛嬌のある女性もまさにはまり役。登場してすぐにどういう内容なのかが見当がつくほどである。甥のなんとか伯母を出し抜いて酒を飲もうとする憎めない嘘も、逸平師が演じるとハレ感じが出る。ちょっと大仰な演出に見える。

女性役のつける装束は「美男鬘と」いうらしいのだけれど、小柄でふっくりしたやすし師がつけると、本当に女性のようである。こんな風に甥(若い世代)に対抗する年寄り女性は、どこにでもいそうで親しみが湧く。こういうところこそ、狂言の真髄だろう。

楽しく大笑いしたのだけれど、ちょうどこの日、逸平師の伯父に当たられる茂山千作師が亡くなられたのだとあとで知った。