yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

鵺の怒りが芸舞に昇華された林宗一郎師シテの能『鵺』in 「能楽にみる自然〜人を超えた「いのち」の世界〜」@大津市伝統芸能会館 9月7日

過激に力強く美しい。今までに見た『鵺』とは趣が異なっていた。林宗一郎師のサイトよりチラシを拝借する。

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鵺という「異形」への畏敬と愛惜の念が謡いあげられ、舞い納められた。シテを演じられた林宗一郎師の切々とした想いが見ている者に迫ってくる、そんな舞台だった。演者の方々は以下。

シテ  舟人・鵺    林宗一郎

ワキ  旅僧      岡 充

アイ  所の者     茂山茂

 

笛           杉信太朗

大鼓          谷口正壽

小鼓          林吉兵衛

太鼓          前川光範

 

後見          味方團   松野浩行

地謡          樹下千慧 河村浩太郎 河村和晃

            田茂井廣道 味方玄 橋本光史

 

とくに最後の爪先立ちをして、手をあげ、くるりと回転する所作の美しさ、勁さ、足を交互について移動するさまのキレのよさ、爽やかさ。これらが鵺の心根を表す一連の意味のある動きとして舞台を支配する。実に小気味が良い。これは頼政が鵺を捕獲する際の彼の動きと捕らえられる鵺自身の動きとの渾然一体となった動きになっている。捕らえる側と捕らえられる側とが一体化する難しい動き。しかし、最後はうつぼ舟に乗せられ、流される鵺の側に重点を置くことで、鵺の惨めさだけではなく、その神々しさも描いているように感じられた。以下のクライマックスシーン。

シテ   ほととぎす なほも雲居に 揚ぐるかな。と仰せられければ
地謡   頼政右の膝をついて 左の袖をひろげ月を少し目に懸けて 

     弓張月のいるにまかせてと 仕り御剣を賜はり

     御前を罷り帰れば 頼政は名をあげて 

     我は名を流すうつほ舟に 押し入れられて淀川の
     よどみつ流れつ行く末の 鵜殿も同じ芦の屋の 

     浦わの浮洲に 流れ留まつりて 

     朽ちながらうつほ舟の 月日も見えず 

     冥きより冥き道にぞ入りにける  
     遥に照せ 山の端の 遥に照せ 山の端の月と共に 

     海月も入りにけり。
     海月と共に入りにけり

 

(権力側の)理不尽、不条理を怒り、そして嘆きながら流されて行く哀れな鵺。一言一句がその鵺へのオマージュになっていた。サブライムへと昇華された鵺への痛切なオマージュ。

それは纏った衣装の素晴らしさにも現れていた。下ろしたてと思われるきらびやかな黒地に金、そして黒地に銀模様の上衣・袴の輝かしい衣装。それが白頭とすっきりとした対照をなしている。

この大津市伝統芸能会館での能公演には歌人の林和清さんの解説が付くのだけれど、語り口も内容もいつも素晴らしい。今回の「鵺の正体とは何か」というテーマでの解説。平家物語から説き起こされ、「鵺退治」で名を馳せた源頼政がどういう人物だったのか、そして鵺ゆかりの地はどこなのか等の話があった。歌人らしく、歌を引用されるところがとてもゆかしい。いわゆる能楽研究者の方の解説が堅苦しく見えることが多い中で、作品の核になるところに歌で迫るというのが、とても参考になるし楽しい。