yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師の能『善界 白頭』in「能楽チャリティ公演 ~被災地復興、京都からの祈り~」@ロームシアター京都サウスホール 8月29日第二部

片山九郎右衛門師のシテは、さすがの見応えだった。ワクワクした。

先月に湊川神社で見た『善界』には、実際のところかなり退屈してしまった。後場になって初めてワキが登場する演出が特徴の『善界』。意表をつかれるけれど、それによってサスペンスが増すところまでは行かない。途中のアイによる「事情説明」がかなり長く、だれ気味になる。また善界坊が舞う後場も、『熊坂』のような生き生きした場になるわけではない。どこか抹香臭い、説教調なのが原因だと思う。「幽玄」でもなく、さりとてドラマチックなわけでもない。前場での二人の天狗、中国からやってきた善界坊とそれを迎える日本の天狗、太郎坊との絡みにもドラマチックさが欠けているように感じた。さほど動きがあるわけではなく、ただ座って対話しているだけの感じ。神戸で劇団を主宰しているアメリカ人の元同僚を同伴したのだけれど、能初心者の彼には「つまらない」印象だったようである。

 

というわけで、この「退屈」な『善界』を九郎右衛門師がどう「料理」されるのか、その一点に興味があった。さすが九郎右衛門師、舞台に躍動感があって、退屈するどころではなかった。

以下が演者の方々。

シテ 善界坊    片山九郎右衛門 

ツレ 太郎坊    浦部幸裕 

ワキ 比叡山の僧正 小林努 

ツレ 比叡山の高僧 有松遼一 

アイ 下働きの僧  井口竜也
笛         森田保美 

小鼓        林吉兵衛 

大鼓        河村大 

太鼓        前川光範

後見        青木道喜  味方玄 

 

概要を銕仙会の「能楽事典」から引用させていただく。

作者  竹田法印定盛(室町時代の医師)か

場所  前場:京都 愛宕山 
    後場:比叡山から京都への道中

概要

中国の仏教界を乗っ取り堕落させた中国の天狗・善界坊(シテ)は、日本の仏教界をも堕落させようと、京都愛宕山に住む日本の天狗・太郎坊(ツレ)のもとを訪れる。二人は比叡山を標的に定め、魔道に陥れる計画を練る。その後、天狗の所業によって京都では魔が蔓延ったので、勅命により僧正(ワキ)が祈祷を命じられたが、京都へ向かう道中を善界坊(後シテ)に襲われる。しかし僧正の祈りによって不動明王や日本の神々が現れ、善界坊は散々に懲らしめられて虚空へと逃げ去ってゆく。

前場での日本に魔道を広めようという善界坊と太郎坊との企み。前回見た折にはそのあたりの禍々しさがあまり明瞭に伝わってこなかった。しかし、今回の九郎右衛門師の善界坊には、並々ならない気迫が感じられ、その邪な意図がはっきりと立ち上がってきていた。加えてその希薄には、「可笑しみ」が漂っていた。太郎坊との策謀が失敗するオチが、すでに確かめられた。 

後場では「白頭」の小書にふさわしい貫禄での立ち回りだった。面も扮装も迫力満点。軽やかに縦横無尽に舞台を飛び回る様は痛快のひとこと。前場で眠くなった人も、目を醒まさざるを得なかったはず。銕仙会の曲解説のサイトに2015年7月に九郎右衛門師が演じられた善界坊の天狗の迫力ある画像がアップされている。ぜひご覧ください。写真でもものすごいパワーが感じ取れます。一応、リンクさせていただきます

ワキの小林努師、有松遼一師お二方共に格がありつつも、若い高僧を演じられてぴったりだった。

お囃子も生き生きとして、後場の演奏が素晴らしかった。能が初めてという方が、太鼓の前川光範師の演奏にことさら感動しておられた。あの掛け声が耳について離れないという。まったく同感。

昨年にも「能楽チャリティ公演 ~被災地復興~」に参加させていただいたけれど、その時よりも参加者が少なめだった。こんな素晴らしい機会を逃すとは、実にもったいない。被災地応援のチャリティなので、入場料等は被災地への義援金になる。舞台も素晴らしく、加えて被災地への応援にもなるという機会を逃す手はないと思う。

演者さんたちのお名前がいただいたチラシになかったけれど、来年以降は是非とも記載していただきたい。それと、日本語解説、英語解説はチラシに記載するだけで十分な気がした。それか(スクリーン)映像(英語のサブタイトル入り)での解説にした方が、よりわかりやすく親切だったかも知れない。