yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

七之助=政岡の身体に注目『伽羅先代萩』in 「八月納涼歌舞伎」@歌舞伎座 8月15日第一部

「御殿」と「床下」のみだったけれど、『先代萩』のキモの部分はしっかりと伝わってきた。逆に人物の対立構図がくっきりと明確になって、初めて見る人にもわかりやすかったのでは。

七之助の政岡は、私が今まで見てきた政岡の中で最も説得力がある政岡だった。七之助の歌舞伎、歌舞伎以外でのさまざまな挑戦が、実を結んできているという感触を持った。たしかに六世歌右衛門の型は一つのモデルとして輝いている。だが、七之助はそれをそのまま真似るというアプローチを採っていない。六世歌右衛門はそれまでの歌舞伎とは違った女形を再造型した「新しい」役者ではあったけれど、やはり古典歌舞伎の演じ方にこだわりはあったように思う。彼を本舞台で見たのは2、3回のみなので、あとは映像を見ての判断と断るべきだろうが。

七之助の政岡の身体に注目。とにかくそれまでの政岡的なものを捨象している。過度な思いいいれ、山あげはほとんどなく、一見あっさり。でも目の表情と微妙な身体の動きで思いを表現しようとしていた。この微妙にやられた。とにかく今までになかった政岡がそこにいた。そして、こういう女方造型は、やはり串田カブキを通り抜けてきた結果ではないかと思う。

対する八汐の幸四郎にもそれは言えるかもしれない。大仰な所作はあまりなく、目の表情だけで、政岡への悪意がにじみ出るよう工夫していた。だから、政岡と八汐との「対立」が究極の心理戦であることが伝わってくる。例えば断末魔の千松をさらに責め苛む(従来なら)非常に嗜虐性の強い場面も、かなりあっさり目。それでも憎々しさは立ち上がっていた。大仰を排し、代わりに微妙な心理の襞を具象化する。それがうまくいっていたのは、やはり自らが体験した「ネオカブキ」(例えばいのうえひでのり演出の『阿弖流為』)を「通過」したからだろう。おかげで八汐の古典劇にはない造型に成功していたように思う。旧歌舞伎のファンからは、必ずしも「受け」が良くなくても、幸四郎にはこの路線を貫いて欲しいと切望している。

そして、特筆すべきは中村屋の(若い方の)兄弟!8歳の勘太郎君は健気な千松を演じて、まったく卒がなかった。おそらく、8月末にはものすごい成長を見せてくれるに違いない。安定感も並外れている。

対する弟の長三郎、6歳。その佇まい、雰囲気がなにかおかしくて、ずっと笑ってしまった(ご迷惑をおかけした方、御免なさい)。天性の役者魂を感じた。あの長い台詞をスラスラと口にするのに、心底たまげてしまった。「只者ではない」というのが、私の偽らざる感想。中村屋兄弟が成年になって活躍するのを何としても見届けなくては。新しい目標ができた。

以下に「歌舞伎美人」からの配役、見どころを。

 

<配役>

乳人政岡       七之助
仁木弾正/八汐    幸四郎
沖の井        児太郎
一子千松       勘太郎
鶴千代        長三郎
小槙         歌女之丞
荒獅子男之助     巳之助
栄御前        扇雀

 

<みどころ>

乳人政岡の苦衷と大敵弾正の妖しさ

 乳人の政岡は、御家横領を企む執権仁木弾正から幼い鶴千代を守るため、御殿の奥で若君のための食事を用意しています。そこへ見舞いと称してやってきた栄御前が、持参した菓子を鶴千代に勧めます。毒殺を危ぶむ政岡が戸惑うところ、走り出て菓子を口にしたのは政岡の息子千松。恐れていたとおり仕込まれていた毒に千松は苦しみだし、さらに弾正の妹八汐によって懐剣でなぶり殺されてしまいます。そんな我が子を見ても動じない政岡の様子に、栄御前はすっかり気を許して一味の連判状を渡します。悪事の証拠をつかむも、1匹の鼠が現れ連判状をくわえ去っていきますが、実はこの鼠こそが…。
 江戸時代に起こった大名家の御家騒動を題材とした時代物の大作をご覧ください。